ワールドメイトの支部で、神業を続けていくうえでのターニングポイントについて質問された。

支部での直会は楽しいひとときであり、仲間と神業について語り合うことがある。先日、神業を継続するうえでのターニングポイント、つまり、現世利益が出なくなった、あるいは出にくくなったときに、どのように考え、向かっていけばいいのかについて質問された。私なりの考えを伝えたが、あまりいいアドバイスではなかったので、いろいろと調べたところ、「神仏のことがわかる本」で答えを見つけた。

神業を続けていくと、例えば、今世あがなわなければならない業が五十あるとすると、神様は、神業を続けている姿勢や徳分を養成していいるのをご覧になって、それを四十とか、三十あるいは十五くらいに縮小してくださるのだ。そして、放っておけば、晩年になって出てくるような悪因縁を、なるべく早いうち、若い間に決済してくださり、危なくなったときにはパッと助けてくださる。つまり、業をなるべく早く、軽く解消できるように、動いてくださるのである。

神業がある程度進んでいくと、現世の利益が出なくなるのは、この段階に入っていくからなのだ。

禅の用語に、「不昧因果(ふまいいんが)」という用語がある。悟りを開いた人間というのは、自分の因縁因果に心を曇らせることはなく、揺るぎない境地を保つことができる、という意味である。

因果の糸は自分自身が紡いだものだし、先祖が紡いだものなのだから、どこかで決済しなければならない。それをしっかりわきまえ、覚悟を定めるのが、「不昧因果」の境地にいたる第一歩である。

現世利益が途絶えたとき、「不昧因果」をわきまえていれば、「私の業と先祖代々の因縁を、神様が大難を小難にまつり変えてくださったのだ。いよいよ私の信仰も一歩深まってきたんだなあ。神様、ありがとうございました」と、感謝の心で乗り越えることができるはずである。そうやって乗り越えたときから、本当の意味での信仰が始まるのである。

一生懸命信仰をしていけば、現世利益の次の段階として、業をあがなう苦しみを通して、本当の信仰を持っているのか、お陰信仰で終ってしまうのか、という神試しが待っている。ここが大きなターニングポイントなのだ。

「神様、事故に遭いましたけれども、骨折だけで助かって、ありがとうございます。本来なら、命がなくなったかもしれないところを、大難を小難にまつり変えてくださったんですね。本当にありがとうございます」

このような受け止め方で、神様に感謝することができるようになったら、もはやお陰信仰ではない。お陰信仰から本当の神様の信仰へと、神業が深まってきたということができる。

すると、どうなるかというと、確かに現世利益が途絶えて悪いことが続くのだが、そのぶん業が消えてきれいになっていくので、ギリギリのところで神様がパッと助けてくださるのだ。神様に感謝をして神業を続けてさえいれば、決して決定的に駄目になることはない。一時的にどんなに辛い状況に追い込まれたとしても、もう駄目かもしれないというところで、必ず神様は助けてくださるのだ。私は何段階もそれをくぐってきたので、断言できる。そういう体験を踏まえながら、信仰をますます不動のものにしていくことが、大切なのである。


by 2nike | 2015-08-09 19:51 | 神仏のことがわかる本
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