たちばな出版の広告「極めて地味な万能のハサミ人」が朝日新聞に掲載

タイトルは、「極めて地味な万能のハサミ人 どんなジャンルも、ズタズタにする面白さ。」
今日の朝日新聞に掲載されている。

広告を見ると、最新刊は次の2つ。
戸渡阿見詩集、第5弾「雨の中のバラード」
DVD BOOK「オペラ 雛祭りのフィガロの結婚」

このうち、戸渡阿見詩集の一つ前、第4弾「魔女の目玉」は、以前購入したので、読み返してみた。初版が2011年5月11日。たしか、出版されてすぐに買った記憶がある。以下、まえがきより。

詩人は「死人」に聞こえ、俳人は「廃人」に聞こえ、歌人は「佳人」に聞こえます。そう考えると、歌人が一番いいと歌人岡野弘彦氏は言いました。詩人に言わせると、詩人は「思人」であり、俳人は「蠅人」であり、歌人は「蚊人」かもしれません。いずれにしろ、歌人はまじめな人が多く、俳人は洒脱な人が多く、詩人はまじめな人と、変わった人の両方がいます。

短歌や俳句で大切なのは、第一は詩心であり、第二に言葉の意味が五十%、あとの五十%は、言葉の調べです。さらに、有り形のパターンにならない意外性があり、その人にしか詠めない個性と、その人らしい輝きがあることが大切です。そこに、芸術性を見いだすのです。これは、詩でも作詞でも、小説や戯曲でも、本質は同じでしょう。

面白いことに、小説で言葉遊びや駄洒落を嫌う人も居ますが、谷川俊太郎やまどみちおの詩集を見て、それを嫌ったり、批判する人は居ません。また、日本の伝統芸能の落語や狂言は、言葉遊びのオチが多いのです。短歌でも、「掛詞(かけことば)」は、伝統的な気の利く修辞法でした。こうして、洒落は、もともと知性と教養を必要とする、気の利いた表現だったのです。それが、一九六〇年代以降、これに価値を認めない人々から、「駄洒落」と言われるようになったのです。

ですから、この歴史を知れば、谷川俊太郎やまどみちお、シェークスピアなどの詩人のように、言葉遊びや駄洒落の詩があっても、決して悪いはずがありません。自由詩の世界では大歓迎されるのです。詩心とユーモアがあり、人間の本質や魂の局面を、さまざまな角度から表現するものなら、何でもいいのです。さらに、意外性があり、言葉使いに個性があり、調べが美しければ、もっといいのです。それが、自由詩の魅力だと言えます。

孔子が、教養とは「詩に興り、礼に立ちて、楽に成る」と言ったように、詩心は、魂の高貴な部分の表れです。だから、詩心が豊かであれば、芸術作品の創作範囲は、無限に広がるのです。オペラや歌曲やポップスを歌う歌手も、作詞や作曲をする人にも、歌心とは、音で表す詩心であることを、是非知っていただきたい。




e0163127_22184973.jpg



ご来訪いただきありがとうございます。
ブログ村のランキングボタンをクリックしていただくと嬉しいです。
     ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ ワールドメイトへ
by 2nike | 2015-08-23 22:22 | 戸渡阿見詩集
<< 戸渡阿見詩集 第4弾「魔女の目... ワールドメイトでは宇宙創造神を... >>