面倒くさいという心が神仏を遠ざける

人はなぜ怠けるのだろうか。
仕事、勉強、連絡など、すべきことをしない、おこたる、なまける、さぼる。そういう怠けグセがびっしり身についている人は少なからずいる。そういう怠けグセと神仏の関わりについて、深見東州氏の著作「神仏のことがわかる本」より。

怠ける理由も何もあるものか、怠け者は生まれつき怠け者と決まっているんだ、そんな声が聞こえてきそうだが、怠けグセが生まれつきかどうかは別として、何かにつけてすぐにサボる人には共通の心理がある。それはすなわち、面倒くさいという思い。これが怠けという行動を引き起こすのだ。

営業に出なければいけないんだけれど、雨が降っているから外に出るのが面倒くさい。礼状を書かなければいけないんだけれど、文面を考えるのが面倒くさい。電話をかけて謝らなければいけないんだけれど、面倒くさくて電話一本かける気がしない。この面倒くさいという思いがあるかぎり、どんなに祈っても神仏の加護はまず受けられない。

例えば、あなたの部下に、命令や指示を出すとすぐにふて腐れた顔をする人間、面倒くさそうな態度をとる人間がいたとしよう。その場合、そんな性格の屈折した部下でも出世ができるように、待遇が良くなるようにと、なにくれとなく引き立ててやろうという気持ちになるだろうか。まれには、そういう面倒見のいい上司もいるだろう。だが、そんなに仕事が嫌いならサッサと辞めたらどうなんだ、という気持ちになるのが、人情というものではないだろうか。

神仏もそれとまったく同じなのである。もちろん、怠け者、無精者だからといって、慈悲深い神仏が、蹴落としたり、不幸に陥れたりすることはない。かといって積極的に守護されることもない。一刻も早く本人が自分の欠点に気づいて自ら立ち直ることを願いながら、黙って見守られるだけなのだ。

だから、神仏を身近に感じるようになるには、何はともあれ面倒くさいという心を払拭すること。ここをクリアーしないかぎり、神仏の守護も得られなければ、功徳もいただけない。そう断言していい。






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by 2nike | 2015-08-29 19:56 | 神仏のことがわかる本
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