魂の錬磨とは、また好運期、衰運期の過ごし方について

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>



「生まれてきた目的は、求道(内修)と慈善(外慈)」。それをさらに陰陽に分け、全体では四種類に分解するという解説はとてもわかりやすい。「魂の錬磨」をカテゴリ分けすることで、ワールドメイトで活動する際にも、目的や意義をより明確にすることができるだろうと思う。
以下は深見東州氏の著作「究極の運命論」より。

「魂の錬磨とは」

生まれてきた目的は私の本で何度もいっていますように、魂の錬磨。そのために私たちは生まれてきています。魂を磨かんがために生まれてきているわけです。魂を磨くとは、上乗へ至る、上の方へ上がっていくこと。上がった分だけ世の中に徳分を残すことができる。

上に上がっていくには二種類。霊的にランクが上がっていくのと、霊的覚醒度合いがふえていくこと。つまり、いかに霊的なランクを神様から与えられたか、そしていかに求道し、どれだけ悟ったか、真理を体得したか。この二種類なのです。

徳分というのは、どれだけ衆生を救済したのかということと、どれだけ世の中にお手柄を立て、社会的に貢献できたのかという功候(こうこう)とがあり、この二種類が徳分なのです。そして、徳分を残す行為が慈善です。

陰陽に分ければ求道(内修)と慈善(外慈)。求道をさらに陰陽に分ければ覚醒と向上、慈善も陰陽に分けると、徳分と功候。全体では四種類に分解することができます。それを一言でいいますと、魂の錬磨になります。




「好運期、衰運期の過ごし方」

あくまで好運期と衰運期というのは、人から見た角度です。神様の目から見たら、内面的なものを磨く時期と、外へ出て活動する時期、陰と陽との違い、ただそれだけなのです。いずれも好運期です。いずれも盛運期、いずれも進歩、向上のときなのです。

『荘子』にこういうことが書かれてあります。自分が認められて、社会的に評価されているときも増長魔にならなくて、淡々と栄光と成功の上を歩いて精進を怠らない。また衰運期でおのれの実力と技量が認められなくて、普通なら悶々と苦しんでいるときも、ちっともクサらないで、営々と努力を重ねて怠ることがない。これ、すなわち真人なりと。

衰運でも好運でも、運がよくても不運でも全く関係なく、運のいいときはいいときなりの過ごし方をして、運の悪いときには悪いときなりの過ごし方をして、全く平常心で前向きに精進する日々に変わりがない。こういう生き方をしなければ、修業しているとはいえない。神様の道を極めているとか、学んでいるとはいえない。そうでなければ俗界の人たちとなんら違うところがない人生となることでしょう。





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by 2nike | 2015-09-09 20:47 | 究極の運命論
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