陰騭録における「徳」「善根」「積善」。儒教の代表的な徳の思想と、仏教の代表的な因果律の思想について

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>



まだ、一昨日の深見東州氏の武道館コンサートでの心の昂ぶりが冷めやらぬところだが、ルパン三世のテーマのCDを聴きながら、以下は氏の著作「信仰の道」より。

陰騭録における「徳」とは、「善根を積む」とは、どのような意味なのか。陰騭録によれば、ただ一言、「人に益することを行う」ことです。

しかし、一つ注意してください。人に益するといっても、発するところが善なる心、慈愛でなければ、表面上は善行でも、死ねば地獄行きです。つまり、偽善者となるからです。
また、短期的には益することが、長期的に見れば益しない場合があります。そして、その逆ももちろんありますが、要は、本来の意味における生きた善を施す必要があるのです。大慈悲で、観音様のように、施すべきは施し、戒めるべきは戒めるのが、真の善根といえるでしょう。

さらに、仏説における徳行は、大きく三つに分けられています。体施、物施、法施がそれです。

さらに私がつけ加えれば、霊的空間に無形の善を施す言霊施(ことだませ)があります。よい言霊を人や物や空間にどんどん施せば、あとで必ずいいことが起こり、人々の幸せにつながるのです。また、よい念を人々や事物に施す念施もあります。霊空間に善の基を形成することができるからです。

さて、その体施、物施、法施の子孫への影響について、もう少し詳しくお話しいたしましょう。おそらく、雲谷(うんかい)禅師が袁了凡にいったのだと思われますが、「易経」になかに有名な言葉があります。簡単にいいますと、”親の因果が子に報い”ということですが、「易経」では「積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃(よおう)あり」といいます。「善を積み重ねてきた家には、あり余る喜びがあります。逆に、善ならざるものを積み重ねてきた家には、よくないことがふりかかる」という意味です。

「積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃あり」は、驚嘆すべき真理の言葉であります。「家の因縁」といいまして、生まれながらに運のいい人、生まれながらに不幸な人は、家の因縁を受けているのです。
因縁にも良い因縁と悪い因縁があり、前世に徳を積んでいる人は、相応に余慶ある良い因縁の家に生まれてくるのです。逆に、前世に悪行を積んでいる人は、相応に余殃ある悪い因縁の家に生まれてくる。これを「相応の理」といい、悪い家の因縁を背負ってしまっても、運命を呪い、親をうらむことはないわけです。

このように、儒教の代表的な徳の思想と、仏教の代表的な因果律の思想は、誠にうまく呼応して、真をうかがっていると申せましょう。





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by 2nike | 2015-09-21 21:17 | 信仰の道
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