「易経」の「陰極まりて陽、陽極まりて陰」。古来、君子はこの法則をもって、修身の鏡とした。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


昨日(10月23日)「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」の1回目の放送があった。
ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00
たちばな出版、みすず学苑が提供する、事業家、教育者、芸術家など多彩な顔を持つ深見東州氏が物事の森羅万象を語る新時代の“ラジオエッセイ”で、この番組は放送終了後、オンデマンドで再放送配信を行っている。
http://www.radionikkei.jp/utahanashi/
さて、タイトルの内容について、以下は深見東州氏の著書「大天運」より。

無形の目に見えない宝を積んでいけば、有形の目に見える宝に「化する」ということは、「易経」にある言葉、
「陰極まりて陽」
と表現することができる。

草木の芽がふき、いかにも春らしい風情となる前には、すでに目に見えない世界で春が始まっているのである。

したがって、夏真っ盛りというときにはすでに秋の訪れがきていて、冬真っ盛りのときにはすでに春の訪れがきているのである。

この「陰極まりて陽、陽極まりて陰」の法則は、何も天地自然の運行にだけあてはまるものではない。人間の運勢、国家の栄枯盛衰にも当てはまるのである。それゆえ、古来、君子はこの法則をもって、修身の鏡としたのである。

すなわち、自分の名声が高まっているとき、他人から評価されているとき、調子がいいときはすでに凋落が始まっている、だから、有形の宝が開花しているときにこそ、傲慢にならず、地道に目に見えない徳を積まなければならず、次の開花のための準備もしなければならない、と。

逆に冬が厳しくてつらいときには、すでに目に見えない世界では春がやってきている。この苦しみ、悲しみ、絶望の冬の時代も、やがて暖かい春の陽光に包まれるのだ。だから、冬の真っ盛りでも絶望してはいけない。悲観してはいけない。勇気をもって、目前の困難に立ち向かうべきである、と。

これが、正しい人生の春の過ごし方であり、冬の越え方なのである。





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by 2nike | 2015-10-24 22:24 | 大天運
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