徳積が極まれば「功候」が立つ。そしてあるレベルに達すると、ひとつの悟りの境地に至れるようになる。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


無形の宝とは、神霊世界に当てはめていえば、「徳と功候(こうこう)」であり、徳については、ひと言でいえば、「人に益する行いをすること」という内容は、一つ前のエントリーで抜粋した。ここではもう一方の「功候」について、以下は深見東州氏の著書「大天運」より。

いずれにしても、善を行うとき、人に益することを行うときは、あまりくよくよする必要はないのである。
「間違っていたら許してください。尺度が浅かったら勘弁して下さい。知恵が足りなければ正しい方向を教えてください」

神様とこんな関係をもつことが、神と人とが接近し、合一しているというひとつのいい状態となっているのである。

そうして、徳をどんどん積んでいって、その徳が極まると、やがて功候、つまり神様のほうから見た功(いさおし)が立って、無形の候となる。この功候は神霊世界の帳簿にすべて記入され、私たちが死んで霊界に行くときの、いき先決定の判定資料となるわけだ。

普通、神霊世界では誰でも平等に扱われるかのように考えられがちだが、実は、神霊世界にも階位、階層があるのだ。地位、名誉、位といったものが厳然としてあり、その立て分けの厳しさは現実界のそれの比ではない。だから、決して誰でもイコールに扱われるというわけではないのだ。

たとえば、ヨーロッパ神界のエンゼルにしても、みな同じ姿をしているように思えるものの、その実、上へいけばいくほど高貴なガウンやイヤリング、冠などを付けており、地位名誉が峻別されているのである。

ところで、この功績は徳を積んだ本人だけ授けられるように考えられているが、実はそうではない。私たちを守護している守護霊にも功候が授けられるのである。

なぜ、守護霊は私たちを守護し続けているのか。それは愛と誠なのであるが、徳を積んで神様から功候をいただくためでもある。つまり、守護霊として活躍することで、徳を積む修業をしているわけだ。そして、その修業に合わせた形で功候が授かり、神霊世界のランクも上がっていくのである。

さて、徳を積み、功候を積んでいってあるレベルに達すると、ひとつの悟りの境地に至れるようになる。つまり、小善を積んでいたころに比べて、より大きな善から物事を見ることができるように御魂が進歩、発展するのである。これを御魂に智恵と証覚が備わってきたというのだ。

そして、ここからさらに大善を積んでいくと、より一層大きな徳と、功候を積むことができるようなるわけである。

このレベルに至って初めて、世に大いなる貢献ができるのである。大神人、大聖人とは、ここから上の人のことをいうのである。神人合一の境も、だいぶ深まってきているといえよう。





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by 2nike | 2015-10-27 21:15 | 大天運
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