宝は「他から」やってくるというように、すばらしい人、書物、環境との出会いで才能が開花する。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


私のすばらしい書物との出会いは、Amazonで人気のある本や古典、あるいは好きな著者を追いかけていくことによる邂逅であることが多い。それらの本によって才能が開花したかというと自分ではよくわからない。しかし、少なくとも深見東州氏の著書を読むことで、悪しき習慣が改まり、良き想念を維持できるようになったことは間違いない。良き本は人生を変えてくれるといえるだろう。
以下は深見東州氏の著書「大天運」より。

別の角度から見れば、学問と芸術と信仰の三つが無形の宝ともいえる。財産や地位などの有形の宝は、いつかは必ずその形を失う。だが、学問、芸術、信仰の三つは自分の中に永遠に残る。そして、恩頼(ふゆ)として御魂の奥深く記録され、再び生まれ変わってこの世に出てくるとき、才能となって現れるのである。

では、そのような貴重な才能はどのようにして現れるのだろうか。生まれながらにして、自然に開花するのであろうか。いや、そうではない。一部の大天才は別として、自然に開花することはほとんどないのだ。

日本の言霊学(ことだまがく)では、宝は「他から」やってくる、と解釈する。つまり、有形無形は問わず、宝は自分で生み出すものではない、他からもたらされるのだ、というわけである。

では、他からの刺激とは何か。それは、出会いである。すばらしい人、すばらしい書物、すばらしい環境との出会いである。すばらしい人と出会って初めて、人生の本義に目覚めたり、すばらしい書物や音楽などに出会って初めて、眠っている前世の才能が芽吹くのである。

ところで現在、自己の潜在意識を引き出すための瞑想術とかメディテーション、あるいは阿頼耶識(あらやしき)、瑜伽論(ゆがろん)といったものが、一部で盛んに行われているようだが、これは感心しない。なぜなら、これらは自分で自分の意識を呼び起こそうというものだからである。

自分を知りたければ、自分を見つめる周囲の人の眼を見ることである。そのほうが、はるかに簡単だし、正確である。

前世の記憶、前世で積んだ学問、芸術、信仰の要素というものは、外からの刺激がきっかけとなって、ドーンと飛び出してくるのである。が、それにはひとつの条件がある。その条件とは顕在意識の醸成である。

御魂の奥に眠っている前世の記憶、いわゆる潜在意識と呼ばれるものは、あくまでも顕在意識の醸成度合いに応じて、飛び出してくるもの。それゆえ、どうしてもある程度の知識や経験が必要なのである。

だが、反対に顕在意識が強すぎても、これまた問題である。というのは、この世の知識をたくさん蓄え、豊富な経験をもってしまうと、今度は逆に顕在意識が殻となって、潜在意識を押さえ込んでしまうからである。

できるものなら、なるべく若いときに神霊世界の真実を知り、前世の記憶を引き出したいものである。聖書にも、
「汝の若い日に、汝の造り主をしれ」
とあるように。





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by 2nike | 2015-10-29 22:33 | 大天運
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