儒教の根源の根源となっている名文「道心これ微かにして、人心これ危うし」と、四忽主義との深い関係と意義

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


「道心これ微かにして、人心これ危うし」という言葉は、深見東州氏の講義でも聞いたことがあり、心に残っている内容である。今回本を読み返してよかったと思うのは、「堯(ぎょう)が舜(しゅん)に伝えた、政治と聖道修業の極意とされる、儒教の根源の根源となっている名文」というところを再認識できたことである。
以下は深見東州氏の著書「大天運」より。

これまで私は、前世のよい面だけを述べてきた。だが実際には、悪い面もあるのだ。決してよい面ばかりではないのである。人を苦しめたり、あるいは殺したりしているかもしれないのだ。そうした悪事も、私たちの御魂の奥にしっかりとインプットされているのである。

それゆえ、条件さえ合えば、至極簡単に前世の悪しき記憶が出てくるのだ。これは恐ろしい。ひとたび、悪しき記憶が出てくると、よいものまですべて食い散らかされてしまうからである。
「悪貨は良貨を駆逐する」
という、経済学者グレシャムの法則どおりの世界になってしまうわけだ。

だからこそ私たちは、ある意味では命をかけるくらいの気持ちで、よき人、よきものとの出会いを大切にし、俗悪なもの、醜悪なものを避けなければならないのである。

子曰く、
「礼に非(あら)あらざれば視(み)ること勿(なか)れ。礼に非あらざれば聴くこと勿れ。礼に非あらざれば言うこと勿れ。礼に非あらざれば動くこと勿れ」

これを四忽(しこつ)主義というのだが、師の言葉を聞いた顔回はこれを固く守り、以後、四忽主義を貫いて、仁の道を成就した。そのことによって、
「顔回、三月仁に違(たが)わず」
とまでいわれたのである。三月とは三ヶ月のことではない、長い年月の意である。顔回は長い間、仁に違うことがなかった。そのため、孔子に次ぐ聖人ということで亜聖と呼ばれ、後世では復聖ともよばれたのである。

ところで、この四忽主義を本来の観点からいい換えると、このようになる。
「道心これ微(かす)かにして、人心これ危(あや)うし」
この有名な言葉は、孔子が理想にしていた古代の理想社会の統率者、最高のまつりごとを行っていたとされる帝であり、聖人であり、大政治家でもあった堯(ぎょう)が舜(しゅん)に伝えた、政治と聖道修業の極意とされる文であったのだ。いわば、儒教の根源の根源となっている名文である。

「かすかで、ちょっと油断してしまうと消え入り、おおわれてしまいそうな神魂の発露である道心を、温め、温めて大切に育てていこう。そうして、それらを台無しにしてしまう張本人であり、人生のあらゆる失敗と過ちの原因となる人欲、人智のことである人心を、なるべく小さくし、触発せず、道心が人心を完全に制圧し、統率しきって、わが身が仁そのものとなるまで、五倫五常の実感が最高にいい状態であるよう、意志の力を発揮して、自分の日常生活の中で四つのことに気をつけよう。最大限の努力をしよう」

というのが、「道心これ微かにして、人心これ危うし」という言葉と、四忽主義との深い関係と意義なのである。





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by 2nike | 2015-10-30 17:18 | 大天運
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