神人合一の道を極めるには、他力に頼ることを知り、自力と他力が十字に組むのが理想。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


「大天運」はプロローグ、第一章~第五章で構成されており、第四章までは人として生まれてきた限り、誰もが理解し、心がけるべき内容であり、いわば、因縁因果に対する基礎の解説である、と書かれている。深見東州氏が本当にいいたいことは、第五章に凝縮されている。何回かに分けてこの第五章の内容を紹介したいと思う。
以下は深見東州氏の著書「大天運」の第五章より。

どうしたら神人合一の道を極めることができるのであろうか。それにはまず、他力に半分頼ることを知る必要がある。

すでに述べたように、現在、一部で盛んに行われている想念術とか阿頼耶識(あらやしき)論、あるいは密教でいう瑜伽(ゆが)論や眠っている大脳を呼び起こそうという大脳生理学などは、すべて自力本願である。眠っている宝をメディテーションすることで呼び覚ますという点において、自力本願、別のいい方をすれば我力の強化であるといえる。

だが、これは人間が到達しなければならない理想の状態である神人合一ではない。瞑想することで宇宙の生命とひとつになるなどといってはいるが、決してそれは神人合一ではない。あくまでも、自力で自分の潜在能力を引き出そうとしているにすぎないのである。

神は私たち人間の中にも内在している。その神を発見するという点では、先にあげたいくつかの方法も間違いではない。だが、神は内在しているだけではないのだ。天地自然にも神霊があり、宇宙も神が創造したものなのである。だから、神とひとつになるには、自分以外の力、つまり他力に頼る要素も必要となるのである。

神人合一というと、瞑想や荒行をして人間のほうから神に近づいていくものと考えられがちだが、決してそうではない。あくまでも、神様から見て、
「こいつは立派な人間だ」
「この人を通して、少しでも世の中をよくしたい」
と映るよう、自己を修養していく。これが神人合一の道の修道なのだ。いわば、日々の生活の中で虚心坦懐に徹し、私心と我欲を捨てる修業をして、誠の道を極めることが神とひとつになる大切な方法なのだが、これについては「神霊界」で詳説しておいたので参照していただきたい。

一方、他力本願にも問題がある。他力ばかりに頼り過ぎるのも、やはり偏しているといわざるを得ない。前にも少しふれたように、他力、他力といっても、自分に合った他力しか出てこないのだ。自分自身が磨いた内面性と外面的な実力、この内外の実力に合わせた形でしか、他力は活用、応用、運用できないのである。このへんが、過剰な拝み信仰の弊害なのである。

自力と他力に関していうならば、この二つが十字に組むことが大切である。それはいわば、先天の修業と後天の修業が十字に組んでいることであり、これをみごとにやり遂げたのが、「神霊界」でも述べたように、出口王仁三郎や黒住宗忠、日蓮上人などなのである。
自力、自力というが、実際はその自力の阿頼耶識の中に出ている自分に、守護神や守護霊などの神々が、目に見えない形でこっそり助けてくれているのである。

また、他力を動かすというものの、自分自身の努力で愛と真心を貫き、眠っている宝をいかに奮い起すかによって、他力の出方も違ってくるのである。

だから、自力の中にも他力が入っており、他力の中にも自力が入っているのだ。そのパーセンテージの違いによって、現実には自力であったり、他力であったりと定義するわけである。そして、その自力と他力がピタッと十字に組んで「中」にはまっている状態、つまり、ツボにはまっていてどちらにも偏ることなくバランスがとれている状態が神人合一の状態であり、中庸の「中」に帰結していて正極を得ているのである。





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by 2nike | 2015-11-02 21:10 | 大天運
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