最終的には、自在性を備え、オールラウンドな働きをされる聖観音と合一することを最大の理想とすべきである

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


以前のエントリー、「絶対神と顕現神。神は人間にわかりやすくするために、無限極から有限の姿となってお出ましになる。」で、「神人合一の究極の理想像とは・・・・・・。」と書いたいたが、結論はここで。
以下は深見東州氏の著書「大天運」の第五章より。

八百萬(やおよろず)の神々のうち、私たちはどの神様とひとつになるべきであるかというと、それは聖観音。一般には、聖観音と合一することを最大の理想とすべきなのである。

なぜ、聖観音を理想とすべきなのか。ひと言でいえば、聖観音は三十三相に化身されて、あらゆる場において万能だからである。ここで少し、多面性を備えているのがなぜ最高の像であるのかについて、経営者の理想と合わせて、さらに詳しく述べてみたい。

社長は、総務もできて経理もわかり、販売、宣伝も掌握できてオールマイティ。そうして初めて、代表取締役社長といえるのである。人事がわからない社長、販売がわからない社長、経理がわからない社長というのはあまりいない。中にはいるかもしれないが、それでは不完全である。

本当にすぐれた社長というのは、事業のすべてがオールラウンドにわかっていて、いざとなったら、何でもやれる。こういう社長が本物の社長なのである。

しかし、普段は部下に任せて、自分は全体の方向を見ているだけ。そして、経理担当の人間を相手にするときは経理の話をし、人事担当の人間を相手にするときは人事の話をし、販売だったら販売の話をする。あるいは銀座へいけば、ホステス相手に色恋の話もできる。要するに自在性を備えているわけだ。

そこが、中堅幹部との違い、平社員との大きな違いである。

神様も、取締役や社長と同じである。上のランクへいけばいくほど大自在であり、オールマイティなのである。

最高神が地に顕現するときの姿は何かというと、それがほかならぬ聖観音という千変万化の大自在性を発揮する神姿となるのだ。概念としてある最高神は、宇宙創造の主神であり、絶対者として君臨する存在である。それを数字で表現すれば「無限極∞」ということになる。

しかし、人間の智覚は有限である。だから、ユダヤ教もキリスト教も、イスラム教も仏教もそして神道もヒンズー教も、すべて人間が智覚できる神という存在は、どんなに「絶対者だ、ス神だ」といっても、有限な人間というものにわかりやすいように現れた、無限極からでた一つの仮の姿なのだ。

それゆえ、エホバもヤーベもゼウスも天之御中主も大日如来も本仏も、「∞極」の神権を委譲されて時代的、地域的、民族的な必要があって現れた、有限的な仮の姿であるといえる。つまり、世界の宗教の主宰神も「無限極∞」であるス神の大観音化身の姿であるわけだ。それが現実界に密接に現れたのが、聖観音なのだと考えればよい。

だから、神人合一して、人間か神様か、神様か人間かといった境地を目指せといっても、究極の目的は、たとえば大黒様とひとつとなったり、三宝荒神とひとつとなることではないのだ。それぞれの時代と場のニーズがあるだろうが、最終的には、オールラウンドな働きをされる聖観音とひとつとなり、聖観音のような人間になり、聖観音か人間か、人間か聖観音かというように自在性を備え、いかなる場所でも、いかなる人に対しても、いかなることもやりこなし、完全に神通大自在、弘通神力をマスターし、人々を救済できるような人間。こういう人がオールマイティな、本当の意味での神人合一した人といえる。これが最高にすばらしいのだ。




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by 2nike | 2015-11-06 17:27 | 大天運
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