熱田神宮は一般には、「ゴタゴタしたことをスパッと解決したい時」に参拝する。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


熱田神宮の奇跡の開運の秘訣と霊的解釈は、
「意志と勇気を奮い立たせる戦勝の神」

本文中の「伊吹山の祭神を、そのご眷属だと審神の誤りをしたために、毒気を吹きかけられ、それが元で日本武尊は亡くなった」ということについて、以前、深見東州氏が解説されたことを思い出す。

祭神とご眷属の審神間違いというのは、わずかな違いと思うかもしれないが、そのわずかな違いを審神できないことで命を落とすこともある。それほど、審神というのは玄々微妙なるものだ、ということだった。

以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

神宮の祭神は熱田大神と呼ばれるが、これは三種の神器、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代とする天照大御神のことと考えてよい。

草薙神剣は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の手によって、八岐大蛇(やまたのおろち)の体内から取り出された。素戔嗚尊は、この剣を高天原の天照大御神に献上し、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と命名された。その後、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨の際、天照大御神から授けられたこの神剣は、鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の手を経て神武天皇に渡り、三種の神器の一つとして宮中に祀られていた。

第十代崇神天皇は、皇女、豊鋤入姫(とよすきいりひめ)を代理として立て、三種の神器のうち、剣と鏡を大和の笠縫に移して祀ることにした。さらに垂仁天皇の代に、倭姫命(やまとひめのみこと)が伊勢の五十鈴川の上流にそれらを移した。この地が伊勢神宮である。

景行天皇の御世に、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征するが、伊勢神宮に参拝した時、叔母である倭姫命が神剣を授けた。日本武尊は、駿河国で敵に襲われ、周辺の野に火をつけられて危機に陥った。そこで、神剣で草をなで切り、火を逆に返して難を逃れ、ついに戦いに勝つことができたのである。これにちなんで、神剣は草薙神剣と呼ばれるようになった。

東国を征した日本武尊は、尾張の国で宮簀媛(みやずひめ)と結婚し、この地にとどまりつつ、周辺を平定していた。そんなある時、伊吹山の神と戦うことになった。だが、日本武尊は、「いかなる時にも剣を離すな」という倭姫命の言葉を忘れ、宮簀媛に剣を預けたまま出陣した。

山中にかかると、突然、白い猪が現れ、それが伊吹山の祭神なのであったが、ご眷属だと審神の誤りをしたために、日本武尊に毒気を吹きかけた。戦いは日本武尊の勝利に終ったが、毒気に当てられた彼は間もなく亡くなってしまう。

天皇は皇子の死を嘆き悲しまれ、社を建て、その魂を鎮め、尾張氏をしてこれを祀らしめた。これが熱田神宮の創始である。

さて、熱田神宮を深く崇敬したのは、室町時代の将軍・足利尊氏であり、また、織田信長も永禄二年、桶狭間合戦の折り、戦勝祈願をした。

無信仰の猛将として名高い信長ですら、「絶体絶命になった時には、熱田神宮のご加護を受けるしかない」と思ったのだろう。つまり、剣の神は戦勝の神であるとともに、意志と勇気の神でもあるのだ。

熱田神宮は一般には、「ゴタゴタしたことをスパッと解決したい時」に行けばよい神社だからである。また、最後のドン詰まりに踏ん張って、強い意志力で天照大御神の光明を照らすことにより、本体を救う働きがある。

戦では、しんがりを務めるのは難しいとされている。特に味方が負けて引き上げて行く時が最も難しいとされ、よほどの力量がある武将でないと務まらないといわれている。

日本国の国政をはじめ、私たちも大変な状況でしんがり的な役割を果たさなければならない時には、熱田の大神が剣の意志力と粘り、そして周囲を従わしめる天照大御神の光明と御稜威(みいず)を与えてくださるのである。




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by 2nike | 2016-03-01 20:23 | 神社で奇跡の開運
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