熊野大社(1) 圧倒的な大地のパワーで大開運

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


以前 『絶対運』の内容をエントリーした際に、次のような問いがあった。
・絶対的な運を得るには、まず十二分な自力をつけ、他力を築き、自らの運、すなわち自力運と、他者の運、すなわち他力運とを十文字に組み合わせればよい。
・しかし、自力をつけるには、相当な努力とそれに見合う年月を要する。
ただちに強い運を得ねばならないという状況に追い込まれたとき、どうすればよいか。

この答えとして、関西では熊野本宮大社に詣でるとよい、と書かれていた。
その熊野本宮大社について、
以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

神奈備(かんなび)信仰、すなわちわが国の山岳信仰の歴史は、役小角(えんのおづね)に始るといわれる。幼少の頃から葛城山中に入り、苦修練行を行い、遂に飛行術まで体得したといわれる。この役小角の足跡を訪ねて、独自の山岳信仰を極めたのが、後に行基菩薩としてあがめられる僧、行基(ぎょうき)である。行基を訪ね、役小角から行基へと霊的に受け継がれた山岳信仰の道を極めたのは、弘法大師(空海)であった。

役小角に話を戻すが、彼の呪術の力に対して嫉妬して讒訴(ざんそ)するものがあった。そこで朝廷は母親を人質にとって、彼を伊豆大島へ遠島するべく申し渡した。伊豆の地に渡った役小角は、役人に首を切られそうになった。その時小角は「斬られるのはやぶさかではないが、最後の頼みに、私を斬ろうとするその刀をなめさせてほしい」と言った。

役人はいぶかしがりながらも刀を差し出す。役小角がペロリとひとなめすると、なんと刀がアメのように溶けてしまった。役人は腰を抜かし、処刑することができなかった。それで、これは偉大な聖人であったということがわかり朝廷は母親を解き放ち、役小角を無罪放免にしたといわれている。

小角はしばらくその地に留まり、大島の霊域に桜を植え、後に許されて大和に帰るや、吉野の霊域一帯にも桜を植樹した。現在、吉野の桜として毎春見事な花を咲かせている樹の最初がそれである。

こうして、吉野で始った山岳信仰の延長線上にあるのが、この熊野神社の信仰なのである。

ところで、熊野神社といったが通常、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を合わせて熊野三山と呼んでいる。

本宮大社は、大斉原の北方五〇〇メートルの所にある。本殿は、二殿一棟、二殿二棟の檜皮葺の壮大な熊野権現造りである。祭神は第一殿が伊邪那美命(いざなみのみこと)、第二殿が速玉男之命、第三殿に、主祭神である家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)(須佐之男命の別名)、第四殿が天照大御神となっている。

熊野速玉大社は、熊野川河口に近い新宮市北方、千穂ヶ峰北にある。

那智大社は、那智川近くにある。この大社の原形は、那智滝をご神体とする別宮飛瀧神社である。高さ一三三メートルの那智滝は、熊野灘から遠望することができ、その昔、航海の道しるべとされた。しかし、現在ではかなり観光化されている上、神霊もいらっしゃるが邪霊や行者の亡霊もにぎやかにいらっしゃる。滝見物だけに行くか、あるいは祈るならご神霊のみに心を合わせて注意してお参りしてほしい。

だから、本当に熊野で大祈願をして人生の大飛躍を願うなら、交通ははなはだ不便であるが本宮大社へ足を運ぶのがよいだろう。ものすごい太鼓の音とともに、清々しい生けるご神霊の実体を体で感じるはずである。抜群の大祈願成就力をお約束する。私と大の仲良しである熊野権現に化身する大青龍王が雲居のかなたより、あなたが汗をカキカキ階段を上ってくる様を、ほほえみながら見ておられることだろう。





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by 2nike | 2016-03-10 21:37 | 神社で奇跡の開運
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