鏡を見て自霊拝をし、神人合一を願う - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


本文では、自霊拝について、植松愛子先生がおっしゃったことが載っていたので、過去のエントリーを調べてみたところ、次のお言葉がありました。

神人合一の道を目指す五大項目
神人合一の道を目指す、レベルの高い祈願をするためにはどういう基準が必要か。私の師である植松愛子先生が明らかにした五大項目がある。
①信仰心
②愛念
③秩序
④調和
⑤平和の心
の五項目である。

目前のどんなことにでも没我没入することこそが、挫折・悩みからすみやかに立ち直る最大の近道。
わが師・植松愛子先生は次のように説く。
「いろいろな念を消し無になることによって、新しいエネルギー、新しい智恵を得られるというならそれはそれで結構・・・・・・でも、無心になるまで一体どれだけ坐禅を組んでいなければならないのだろうか。それよりもいま目前のできることをしたほうがいい。ただ今、ただ今のこの一瞬に生きることをせよ」と。

運命改革方法論序説 --- 天命・宿命・運命について
植松愛子先生はスの神様に、「人間は幸せになる義務がある。それがス神の心であり、人の天命である」と示された。


以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

●神社の鏡が教えていること

神の意志に沿った人間とは、御魂が球形で円満に輝く人間だ、ともいえる。そうならなければならないと、神様はいつもわれわれに教えてくれている。

神社にご神体として祀られている鏡の意味するものは、実はこのことなのである。鏡の如くならんとすることを目指してなす修業を、神道では自霊拝(じれいはい)という。最初は六角形の鏡に映る自分を見て、癖や偏りを直す。角があるところが、修業を始めようとする自分にそっくりなのだ。

次に八角形の鏡(八咫の鏡という)を見て自分を反省する。まだまだ角がある。そして最後に太陽を思わせる丸い真澄の鏡に自分を映して、自らの霊を拝み省みるという手順になっている。

鏡に自分を映して拝むことを自霊拝といい、自分の中のご神霊を拝むのである。祈願とは、自分の霊に対してもできるわけだ。自霊に対して、祈るように祈るように強い自覚を促すというほうが適切な表現かもしれない。




●カガミから”ガ”を取る修業で誰でも神様になれる

思えば、神社の鏡は数千年に渡って私たちにそのことを教えているのだが、誰も気がついていないのだ。ますます神様と人との間に距離ができて、人間となってしまったのである。古代、神人合一といって神様とはひとつに結びついていた。そして、もっと前は、人が神の如くであったのだ。大和言葉(古代からの日本の言葉)ではヒト(霊止(ひと))といった。神様の霊がとどまっているという意味である。

それが時代が下がるにつれて、現実界の観念や欲望にばかり目を向けるようになり、人が神様から離れてしまった。神社の鏡はそれではいけないと、本来のヒトへ帰る道を無言のうちに教えているわけだ。

このことを言霊分析にて恩師植松愛子女史はこうおっしゃっている。
「カガミという言葉から、ガを取ればどうなりますか。カミという言霊になるでしょう。自分というものをよく鏡に映して、ガを取る修業をすれば、誰でも神様になれるということです。神人合一の秘訣を、神様がこうして無言の内に教えておられるのです」と。


神社のご神体である鏡に、深々と頭を下げてふと見上げてみたら、自分の姿が映っている。まさに、「ご神体とは、お前自身のことなんだ」ということを教えているのである。これを、神様による無言の禅公案なのだと受けとめたいものだ。

そうなるために、祈願をして神様と交流、感応し合い、鏡を見ては自霊拝をし、神人合一できるような自分作りに励みたい。かといって、神職や神のご意思を取り次ぐ神霊家になるのでなければ、若いうちから澄み切ることばかりに専念することはお勧めできない。一般の方々には、むしろ、神様の義に対して心澄み切り、人に対する仁に対して心澄み切り、一切を燃ゆる誠でつき進むという道に対して心澄み切るべきだろう。






ご来訪いただきありがとうございます。
ブログのランキングボタンをクリックしていただくと嬉しいです。
     ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ ワールドメイトへ
ワールドメイトへ

by 2nike | 2016-09-03 17:33 | 神社で奇跡の開運
<< 国家とか民族の才能は、神界との... 宗像大社(2)言葉と弁才の神で... >>