善も悪もすべてこれ神のうち - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


深見東州氏が痛烈に悟ったと書かれている、「陰と陽とは太極の用であり、姿である。陰なき陽はなく、陽なき陰はないのであって、それらはすべて主神である太極の動く時の二面であるのだ。」を読むと、ワールドメイトの神事で、「素晴らしい神様が降臨されるときは、大きな魔もやってくる」といわれてたことが思い浮かぶ。

以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

●悪とは善に相応するもの

昔からなぜ神様はこのように悪というものを地上からなくさないのか。なぜ悪はあるのか。悪とはそもそも何なのか。などと真剣に考えていたが、なかなか解答が得られなかった。そして、「老子」や「易経」と巡り合い、これを学ぶことによって初めて神霊界の生成発展の理を知って、すべてが氷解したのである。

悪とは善に相対するものであり、陰と陽の関係であること。ゆえに絶対の善も絶対の悪もなく、ひとつの事柄は、ある面で見れば善であるが、ある面で見れば悪になり、その逆もまたあり得るということ。

だから、絶対者の絶対次元を信仰して、柔軟に善悪を考えて、自分の知覚する最善の善を謙虚になすしかないこと。そして、もし腹が立って、すべての悪をなくそうとするならば、善をなくすしかないこと。それは、「老子」の「長があるから短があり、強があるから弱があり、美があるから醜があり・・・・・・」でもわかる。そもそも、陰と陽とは太極の用であり、姿である。陰なき陽はなく、陽なき陰はないのであって、それらはすべて主神である太極の動く時の二面であるのだ。こういうことを痛烈に悟ったのである。




●御魂の進歩発展のためには、前向きに精進、努力する

たとえば、生が陽で死が陰、生が善で死が悪とすれば、人間は善ばかりであるべきだ、と神様にうそぶいていた私は、人間は死ななくて生のみあるべきだと、頑固に神様に願っていたようなものだった。善悪を超えたところに主神があり、宇宙の主神がひとたび動けば、必ず善と悪とになるということなのである。

「善も悪もすべてこれ神のうち」ということを深く悟り知って初めて、悪に対する慈しみも湧き、善であることに対する小さな誇りの心もぬぐうことができた。善悪の形をとる以前の主神に自分の霊体を安居させることができるという境地を、禅では「本来無一物。無一物中、無尽蔵」といったりもする。分別、善悪を超えて、すべてを大善に生かすことができるという、内的覚醒のレベルを表す言葉である。

万物創造の主神が、なぜ悪霊をそのままにさせる自由をお与えになっているかといえば、善霊の進歩発展のためなのである。なるほど、霊界では善霊は善霊たちのみが集まり、悪霊は悪霊のみが集まる。だから、善霊の集まる天国はどこを見ても善霊ばかり、幸せの極致なのだ。

だが、善霊のみが集まって幸せな所とは、残念ながら魂が磨かれて進歩発展することはあまりない。人間が悪霊のウヨウヨするこの世に生まれてきたのは、すべてこの御魂の進歩発展のためなのである。だから、文句をいわず、前向きに精進、努力するしかない。御魂が進歩向上した分だけしか神なるものを自得できず、自得した分だけしか世のためにも神様のためにも役立つことはできないのであるからだ。






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by 2nike | 2016-09-21 22:25 | 神社で奇跡の開運
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