カテゴリ:神仏のことがわかる本( 15 )

ワールドメイトは教えを勉強するところではない。教えを通して道を勉強するところ。

対機説法とは、相手の能力、性質やその場の状況などに即応して法を説くこと。人により、場所により、状況により、教えは異なるので、それらをつなぎ合わせても矛盾が生じる。形あるものにはすでに本質はなく、形の無いものに本質が宿ると、以前講義で聴いたことがある。

深見東州氏の著作「神仏のことがわかる本」は深遠な内容がわかりやすく書かれている。氏の『中庸』の言葉を引用した講義は何度か聴いたことがある。当初は、なかなか腑に落ちるという感じでの理解はできなかったのだが、この本を読み講義の全体像を把握できた。

ワールドメイトは教えを勉強するところではない。教えを通して道を勉強するのである。『中庸』に次のような言葉がある。
「中(ちゅう)は天下の大本(たいほん)にして、和(か)は天下の達道(たつどう)なり」
「中和(ちゅうか)を致して天地位し、万物を育す」
「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中(ちゅう)と謂う。発して皆節に中(あた)る、これを和という」

「中」を「あたる」と読んでいるところが重要だ。ふだんは道の状態に似て、教えも形もない、人間の喜怒哀楽が出てくる前の道という存在。それがひとたび発すると、ピシッと中心に当たる。激しくするときには激しく、やさしくするときにはやさしく、中は偏りなき道という存在。そして、機に触れて出てきた言葉が教えとなる。

これを理解できないと、矛盾に頭を悩ましてしまうのである。

それぞれ状況が違うのだから、状況に合わせた教えが出てくる。ある人には激しく、ある人にはやさしく、ある人にはもっとおおらかに、ある人にはもっと細やかに。こうも言えばああも言う。それぞれ矛盾している。教えを信奉すれば、必ず矛盾にぶつかる。しかし、そんなことはどうでもいい。道が本質なのである。道の中に、神の息吹があり存在があり、功徳がある。

その法則性とポイントを踏まえれば、相手を生かさんがために、救わんがために、おのずから生きた教えが出せるのである。
皆さま方には、こういう賢人になってほしいと思う。





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by 2nike | 2015-08-17 19:33 | 神仏のことがわかる本

ある程度、業が晴れてくるとどうなるか。またワールドメイトの「北極免因超修法」で業を晴らすとは。

ある程度業が晴れてくるとどうなるか、「神仏のことがわかる本」より。

神業を続けていくうえでのターニングポイントを経て、ある程度業が晴れてくると、どうなるかというと、善き思いが速やかに成就するようになっていく。つまり、神様にお願いをすれば、すぐに現実になって、現れるようになるのだ。自分のことでも人のことでも、お願いすればそのとおりの結果が出る。

では、どれくらい神業を続ければ、そういう状態になるのか。それは個人個人の業の深さによって違ってくるので、一概には言えない。

ある朝起きたら、業が晴れていたというようなことはない。少しずつ少しずつ、薄紙をはがすように晴れていくのが業というもので、その人のレベルに合わせて、最も効果的に業をはらすことができるように、神様がスケジュールを組んでくださるのである。それを守護霊様を中心とした守護霊団が進行管理し、様子をみながら教育的指導を具体的に与えリードしていってくださるのだ。

そうして、五年、十年と神業を続けていけば、次第に業が晴れていって、幸福を享受できるようになっていく。幸せだと思うような人との出会い、幸せだと思えるような仕事というのが、知らず知らずのうちにもたらされるようになっていくのである。

どうせ晴らさなければいけない業ならば、若いうちに晴らしてしまった方がいい。覚悟を決めて、何があっても「不昧因果」の気持ちで積極的に臨んでいけば、御魂を鍛えられる。そのぶん実力がついていく。そして自分に自信がついていくことだろう。その経験を生かして、世のため人のために大きな仕事に挑んでいただきたいと思うのだ。


神様は、神業を続けている姿勢や徳分を養成していいるのをご覧になって、業を縮小してくださることは、以前に述べた。これ以外に業に向き合う方法として、考え方の工夫次第で苦しみを楽しみに変えながら業を取ること、また常に明るく前向きに物事に立ち向かうことで業が払われるスピードが速くなることなどがある。

また、ワールドメイトには、「北極免因超修法」という先天の世界の災いを消す、根本的な解決策が北極神界から降ろされている。深見東州氏がお元気で体力的に余裕のある今だけ受けることのできるものであり、神様から許されたぶんだけ個人の劫と家代々の劫を消し去ってくださるお取り次ぎだ。

「北極免因超修法」は、神様が業を縮小してくださる特例バージョンといえるだろう。それは神様から愛される特別なる存在であり、肉体的、精神的、霊的にも過酷を極める深見東州氏のお取り次ぎの賜物であるとうかがっている。

ワールドメイト会員ならば、この「北極免因超修法」を受けるチャンスを逃す手はない。私も毎回感謝して「北極免因超修法」の申込みをしている。
by 2nike | 2015-08-11 20:06 | 神仏のことがわかる本

不昧因果の境地に学ぶも、なお艱難辛苦が与えられた時、欲得に流されそうになった時、どうすればよいか?

昨日のエントリー「ワールドメイトの支部で、神業を続けていくうえでのターニングポイントについて質問された。」では、お陰が途絶え、業が吹き出した時に、禅の「不昧因果」の境地に学ぶ、というところまで書いた。これには続きがある。


「不昧因果の境地に学ぶも、なお艱難辛苦が与えられた時には、どうすればよいか」

孟子の言葉に、「天の将(まさ)に大任をこの人に降(くだ)さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を労せしめ、其の体膚(たいふ)を餓えしめ、其の身を空乏にし、行うこと其の為さんとする所を払乱(ふつらん)せしむ」というのがある。神様がある人に大きな役目を授けようとするときには、骨肉の苦しみを、窮乏の境遇を、何を行ってもその意図に逆行するような、不如意を試練として与える、という意味である。

明治維新の志士たちは、この言葉を胸に刻み込んで、艱難辛苦に遭ったときには、「天が我に大任を与えているに違いない」と思いながら、試練に打ち勝っていったとされている。

神業を続けていく中で、現世利益が途絶え、何か良くないことが続くようになることもあれば、ようやく業が晴れて開運期に向かったと思ったら、また身辺に良くないことが起こり始めるということもある。それは一つには、まだ業が晴れきっていなかった、ということもあるだろう。しかし、一段上のお役目を与えるためにあえて神様がそうされているという場合もある。そのいずれであるかは、後になってみなければわからない。だったら、神様の試練だ、より大きなお役目を与えようとされているんだと、明るく積極的に立ち向かっていったほうがいい。



「心が初めの志を忘れ、欲得に流されそうになった時には、どうすればよいか」

孟子はまた、「学問の道は他なし、ただ其の放心(ほうしん)を求むるのみ」とも言っている。放心というのは放たれた心。つまり、何かにとらわれた心である。その放心を求める、つまり元に戻すのが学問の道だ、と孟子は言っているのだ。

神様の道を極めようと思って神業を始めたものの、途中で何か別の事柄に心が向いてしまうことはよくある。

とにかく人間というのは、地位か権力か名誉か恋か、何かに心を奪われやすいものだ。その結果、志を見失ってしまうようなら、たとえどんなに本を読んでいても、どんなに知識があっても、それでは本当に学問があるとは言えない。

真の学問がある人は、ただその放心を求める――ひょいと離れていってしまった心を、「ああ、そんなことを考えてはいけない。いまはこれをやらなくてはならないんだ。こんなことを思っていちゃダメだ」と、パッと心を元に戻す。自分の目をあちこちに向けないで、いま、自分がしなければいけないことに邁進していく。

「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」これは王陽明の言葉である。陽明のいう「心中の賊」というのは、人欲のことなのである。人間の持っている欲望というものをどう制するか、「そんなことを思ってはいけない」と己に言って聞かす力。それが本当の学問なのだ。ということを陽明は言っているのである。

そのためには、四書五経をはじめとする、古典の勉強をすることが一番なのだが、私の著書をはじめ、たちばな出版の本には、古典の智恵を現代に適応させた考え方のヒントが、いろいろな形でちりばめられているので、よく勉強していただきたい。


by 2nike | 2015-08-10 16:18 | 神仏のことがわかる本

ワールドメイトの支部で、神業を続けていくうえでのターニングポイントについて質問された。

支部での直会は楽しいひとときであり、仲間と神業について語り合うことがある。先日、神業を継続するうえでのターニングポイント、つまり、現世利益が出なくなった、あるいは出にくくなったときに、どのように考え、向かっていけばいいのかについて質問された。私なりの考えを伝えたが、あまりいいアドバイスではなかったので、いろいろと調べたところ、「神仏のことがわかる本」で答えを見つけた。

神業を続けていくと、例えば、今世あがなわなければならない業が五十あるとすると、神様は、神業を続けている姿勢や徳分を養成していいるのをご覧になって、それを四十とか、三十あるいは十五くらいに縮小してくださるのだ。そして、放っておけば、晩年になって出てくるような悪因縁を、なるべく早いうち、若い間に決済してくださり、危なくなったときにはパッと助けてくださる。つまり、業をなるべく早く、軽く解消できるように、動いてくださるのである。

神業がある程度進んでいくと、現世の利益が出なくなるのは、この段階に入っていくからなのだ。

禅の用語に、「不昧因果(ふまいいんが)」という用語がある。悟りを開いた人間というのは、自分の因縁因果に心を曇らせることはなく、揺るぎない境地を保つことができる、という意味である。

因果の糸は自分自身が紡いだものだし、先祖が紡いだものなのだから、どこかで決済しなければならない。それをしっかりわきまえ、覚悟を定めるのが、「不昧因果」の境地にいたる第一歩である。

現世利益が途絶えたとき、「不昧因果」をわきまえていれば、「私の業と先祖代々の因縁を、神様が大難を小難にまつり変えてくださったのだ。いよいよ私の信仰も一歩深まってきたんだなあ。神様、ありがとうございました」と、感謝の心で乗り越えることができるはずである。そうやって乗り越えたときから、本当の意味での信仰が始まるのである。

一生懸命信仰をしていけば、現世利益の次の段階として、業をあがなう苦しみを通して、本当の信仰を持っているのか、お陰信仰で終ってしまうのか、という神試しが待っている。ここが大きなターニングポイントなのだ。

「神様、事故に遭いましたけれども、骨折だけで助かって、ありがとうございます。本来なら、命がなくなったかもしれないところを、大難を小難にまつり変えてくださったんですね。本当にありがとうございます」

このような受け止め方で、神様に感謝することができるようになったら、もはやお陰信仰ではない。お陰信仰から本当の神様の信仰へと、神業が深まってきたということができる。

すると、どうなるかというと、確かに現世利益が途絶えて悪いことが続くのだが、そのぶん業が消えてきれいになっていくので、ギリギリのところで神様がパッと助けてくださるのだ。神様に感謝をして神業を続けてさえいれば、決して決定的に駄目になることはない。一時的にどんなに辛い状況に追い込まれたとしても、もう駄目かもしれないというところで、必ず神様は助けてくださるのだ。私は何段階もそれをくぐってきたので、断言できる。そういう体験を踏まえながら、信仰をますます不動のものにしていくことが、大切なのである。


by 2nike | 2015-08-09 19:51 | 神仏のことがわかる本

ワールドメイト深見東州氏の著作「神仏のことがわかる本」は、神仏の道 入門書。祈りの原点はこれ。

「基礎こそ到達点。基礎を反復することが到達点である」と、深見東州氏はおっしゃいます。
「神仏のことがわかる本」は、「実在する神仏のお働きと、ご守護の仕方がよくわかる!『神仏の道 入門書』」。わかりやすい文章でありながら奥深い内容なので、読み返すたびにあたらな発見と感動を与えてくれる。

この本に「天に通じる祈り方」という段がある。

神様に通じるためには、御魂を奮い立たせて情感を高め、極めていくことである。情感を高めるためには、レポート形式ではなく、短歌を詠むようなつもりで祈るのがコツだ。

魂を奮い立たせるための言葉は、修飾語を増やしていくのがコツである。
「スの大神様、今回も素晴らしいご神業ができますように」
を基本として、情感を高めていくには、

「スの大神様」に関しては、
「偉大なるスの大神様」
「森羅万象をおつくりになった大いなるスの大神様」
「本日は雨がシトシト降っていて、失恋したばかりの私の心の中も雨がシトシト降っていますが、そんな気持ちを吹き飛ばしてくれるほど偉大なスの大神様」
というような表現。

次に「素晴らしいご神業」に関しては、
「古今未曾有のご神業」
「いまだかつて経験したことがないようなご神業」
「涙、涙、涙でしか語ることができないような素晴らしいご神業」

「古今未曾有、歴史上いまだかつてなかった、天照大御神様が感動して真夜中に太陽が輝き出し、金星人や水星人が驚嘆するような素晴らしいご神業でありますように」という具合である。

そして、言葉と同時にイメージを最大限に膨らませていくことだ。金星人や水星人が驚嘆しているイメージ。皆が喜び、私が喜び、神様が喜んでいるイメージを具体的な映像として浮かび上がらせていく。これでもかこれでもかと、無理矢理にでも、最大限、極限まで魂を奮い立たせていくのである。

そうして、どんどん盛り上げていって、最後の「ように」のところを「ようにぃー!」というように語尾に思いっきり力を入れて、絶叫するような感じで、絞り出す。すると、フワッと魂が浮かび上がってくる。
自分の魂が発動した分だけ、守護霊や守護神、神々様が発動なさる。身の内の神が発動してこそ外の神も動く。祈りの原点はこれなのだ。


by 2nike | 2015-08-08 21:27 | 神仏のことがわかる本