ワールドメイトの備忘録:戸渡阿見詩集
2015-11-14T17:16:56+09:00
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ワールドメイトや、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏の活動と社会貢献の足跡。氏の著書の感動したヵ所。ワールドメイト会員によるタイムリーなワールドメイト関連情報発信ブログ。
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戸渡阿見詩集 第4弾「魔女の目玉」の周利槃特(しゅり・はんどく)のことをかいた詩は素敵だ
http://noteb.exblog.jp/23596559/
2015-08-24T20:25:00+09:00
2015-09-06T16:06:00+09:00
2015-08-24T20:25:10+09:00
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戸渡阿見詩集
wikiによれば、「周利槃特は釈迦の弟子中、もっとも愚かで頭の悪い人だったと伝えられる。そのため、愚路とも呼ばれた。また十六羅漢の一人。」
「魔女の目玉」の『ある対話』という詩を読んでいくと、最後の部分で、文字も読めず自分の名前もよく覚えられなかった周利槃特と、お釈迦さんとの対話だったというのがわかる。言葉は厳しいが、弟子への愛情が、後からじわじわと伝わってくる素敵な詩。
『ある対話』
頭がいいって
うらやましいな
そうでもないよ
頭がほどほどで
実行力のある方が
実際に役立つからね
でもぼくみたいに
頭が悪いよりは
頭がいいだけで
羨ましいな
そうでもないよ
君のように
頭が悪くて
実行力もない方が
謙虚な場合が
多いからね
でも
頭がよくて
実行力もあり
謙虚な人もいるよ
まるで
仏様みたいに
そうでもないよ
君のように
頭が悪くて
実行力もなく
時々傲慢な方が
生命力があって
長生きする人が多いよ
でも
頭がよくて
実行力があり
謙虚な人で
長生きしている人もいるよ
まるで
宇宙人のように
そうでもないよ
君のように
頭が悪くて
実行力もなく
時々傲慢で
生命力もない方が
かわいいので
皆に
愛されるよ
でも
頭が良くて
実行力があり
謙虚な人で
長生きして
美しい顔して
愛されてる人もいるよ
まるで
神様のように
そうでもないよ
そんな人は
心が貧しくて
君のように
神仏を大切にして
生きないから
あの世で
暗愚な霊となり
実行力もなく
神仏に対して
あくまで不遜だよ
それで
あの世で惑い
醜い姿になって
さ迷ってるよ
まるで
妄者のようにね
そうかなあ・・・・・・
文字も読めず
自分の名前も
よく覚えられなかった
周利槃特は
釈迦の言う通り
毎日
掃除だけを実行した
その中から
見性大悟し
釈迦の弟子の
十六羅漢の一人になった
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たちばな出版の広告「極めて地味な万能のハサミ人」が朝日新聞に掲載
http://noteb.exblog.jp/23593556/
2015-08-23T22:22:00+09:00
2015-11-14T17:16:56+09:00
2015-08-23T22:22:30+09:00
2nike
戸渡阿見詩集
今日の朝日新聞に掲載されている。
広告を見ると、最新刊は次の2つ。
戸渡阿見詩集、第5弾「雨の中のバラード」
DVD BOOK「オペラ 雛祭りのフィガロの結婚」
このうち、戸渡阿見詩集の一つ前、第4弾「魔女の目玉」は、以前購入したので、読み返してみた。初版が2011年5月11日。たしか、出版されてすぐに買った記憶がある。以下、まえがきより。
詩人は「死人」に聞こえ、俳人は「廃人」に聞こえ、歌人は「佳人」に聞こえます。そう考えると、歌人が一番いいと歌人岡野弘彦氏は言いました。詩人に言わせると、詩人は「思人」であり、俳人は「蠅人」であり、歌人は「蚊人」かもしれません。いずれにしろ、歌人はまじめな人が多く、俳人は洒脱な人が多く、詩人はまじめな人と、変わった人の両方がいます。
短歌や俳句で大切なのは、第一は詩心であり、第二に言葉の意味が五十%、あとの五十%は、言葉の調べです。さらに、有り形のパターンにならない意外性があり、その人にしか詠めない個性と、その人らしい輝きがあることが大切です。そこに、芸術性を見いだすのです。これは、詩でも作詞でも、小説や戯曲でも、本質は同じでしょう。
面白いことに、小説で言葉遊びや駄洒落を嫌う人も居ますが、谷川俊太郎やまどみちおの詩集を見て、それを嫌ったり、批判する人は居ません。また、日本の伝統芸能の落語や狂言は、言葉遊びのオチが多いのです。短歌でも、「掛詞(かけことば)」は、伝統的な気の利く修辞法でした。こうして、洒落は、もともと知性と教養を必要とする、気の利いた表現だったのです。それが、一九六〇年代以降、これに価値を認めない人々から、「駄洒落」と言われるようになったのです。
ですから、この歴史を知れば、谷川俊太郎やまどみちお、シェークスピアなどの詩人のように、言葉遊びや駄洒落の詩があっても、決して悪いはずがありません。自由詩の世界では大歓迎されるのです。詩心とユーモアがあり、人間の本質や魂の局面を、さまざまな角度から表現するものなら、何でもいいのです。さらに、意外性があり、言葉使いに個性があり、調べが美しければ、もっといいのです。それが、自由詩の魅力だと言えます。
孔子が、教養とは「詩に興り、礼に立ちて、楽に成る」と言ったように、詩心は、魂の高貴な部分の表れです。だから、詩心が豊かであれば、芸術作品の創作範囲は、無限に広がるのです。オペラや歌曲やポップスを歌う歌手も、作詞や作曲をする人にも、歌心とは、音で表す詩心であることを、是非知っていただきたい。
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