カテゴリ:絶対運( 17 )

ただちに強い運を得ねばならないという状況に追い込まれたとき、どうすればよいか。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

「絶対運」の紹介の最後になります。
自力をつける時間を要するために、目前に迫った困難に対処できないという場合。
また、長期間にわたる火を吐くような努力には、もはや精神的、肉体的に耐えられそうもないという場合。
このようなときには、霊力の強い神社に、自らのエネルギーの全てを投入して、祈り捧げることで、神のご加護を受けることができる。
以下は深見東州氏の著書「絶対運」の”あとがき”より。

絶対的な運を得るには、まず十二分な自力をつけ、他力を築き、自らの運、すなわち自力運と、他者の運、すなわち他力運とを十文字に組み合わせればよいということがおわかりになったと思う。

しかし、自力をつけるには、相当な努力とそれに見合う年月を要する。

ある日、渾然として絶対運への道に目覚めたとしても、自力をつける時間を要するために、目前に迫った困難に対処できないという場合もある。また、長期間にわたる火を吐くような努力には、もはや精神的、肉体的に耐えられそうもないという人もいるだろう。

このような人は、あたら不運にまみれたままの生涯を過ごさなければならないのだろうか。そんなことはない。

神々、そして仏たちは、つねに慈愛あふれた眼差しをあまねく人間界にふりそそいでおられる。

そしてまた、弱き者も強き者も、ともに生きる権利を認められ、その権利を侵害する者が存在すれば、それを断固排除されようとなさるのである。

したがって、今、ただちに強い運を得ねばならないという状況に追い込まれた者に対しても、温かい手を差し伸べられるのだ。

その手に人びとはどのようにして、すがればいいのか。霊力の強い神社に、自らのエネルギーの全てを投入して、祈り捧げることが、見えざる神の手にすがり、神の愛とご加護を受けることなのだ。

では、どの神社が強い霊力を持つのだろうか。このことについては自著「奇跡の開運」に詳述してあるから参照していただくとして、ここでは、いくつかの例をあげておこう。

一願成就、すなわち試験に合格する、あるいは人生の岐路にあって、破滅を避けたいというせっぱつまった思いをかなえさせてくれるのは、関東では、箱根神社、関西では熊野本宮大社である。また、中部地方の方々は、熱田神宮、九州の方々は宇佐八幡という、その地をしろしめす神の社に詣でるとよい。

もし、金のやりくりでギブアップというときには、三輪神社、何をやってもうまくいかない、もはやどん詰まりといった状況を切り抜けさせてくれるのは、熊野権現である。

これらの神々に詣でる時は、自らの願いを明確する印として、相応のお玉串料を用意し、いずまいを正して、正式な参拝をするべきであって、間違ってもGパンにスニーカースタイルでポケットからバラ銭をつかみ出して、賽銭箱に放り込むようなことをしてはならない。

神々は、本人がどれほどに真剣であるかを観察されているのである。

もし、たんに「困ったときの神頼み」レベルであるのなら、神々は、あなたの願いをなかなかお聞き届けくださらないであろう。

人事を尽くして天命を待つという言葉があるが、トコトン、神におすがりすることにエネルギーを費やせば、そのエネルギーの数十倍、数百倍の神のパワーを受けることができるはずである。





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by 2nike | 2016-01-01 20:44 | 絶対運

霊界や神界にも通用する財産とは何か

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


この段が、本書のまとめとなるところであり、自力運・他力運といった二極から説かれたものを現実的にはどのように意識し方向を定めればよいのかがわかる。
これで完了といいたいところだが、最後の「あとがき」で補足している部分があるので、次回に「あとがき」を紹介して最終としたい。
以下は深見東州氏の著書「絶対運」より。

私が自力運・他力運といった二極から強運を説いてきたのは、それなりの私の願いがあってのことなのである。それは何か。長続きする幸せを得てほしいと思う気持ちである。長続きする真の幸せとはなにか、をとらえながらここで私は私の秘かなる思いをいまあなたにはっきりお伝えしなければと思う。

人間が生きるということは、現実の世界・霊界・神界の三極が深く相互にかかわりあっているのだから、この三極に通用する幸福を築きあげるべきではないか、ということだ。

現実も幸せであり、霊界でも幸せというのが長続きする幸福である。そして、生まれ変わり死に変わりして輪廻転生をくりかえすとき、魂が本当に喜び、また現実のこの世に受け継がれてくる永遠の財産、宝物は何かといえば、学問・芸術・信仰の三つである。

強運になるためには、「まず自力をつけよ」「自力運を高めよ」といったのは、自力によって得られる学問・芸術・信仰の力が長続きするものであり、それらが本当の高級神霊界、つまり天に通じて天運そのものをいただけるからだ。それが本物の幸運であり、幸福でもある。

神人合一した人の能力とは、禅でいう”見性成仏”のレベルのそれでもなく、密教系のいう”即身成仏”のレベルでいう神人合一でもなく、ましてやメディテーションなどでいう”宇宙意識”といったレベルではない。

たとえば、天津神、国津神、仏界、ヨーロッパ神界、インド神界、中国神仙界、あるいは極微神界など、大宇宙のあらゆる次元の神々と合一したレベルであり、かつてのモーゼや出口王仁三郎、弘法大師、日蓮上人、聖徳太子といった人たちのように、それぞれの時代を切りひらいていく偉大な霊的能力と現実的能力を兼ね備えていなければならないのだ。
そうした神人合一の道をめざす第一歩が、まず自力をつけることにあったのである。

「赤肉団上(しゃくにくだんじょう)に一無位の真人あり。常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ」

これは臨済義玄の言葉だが、そこに顕れる気魄は壮絶である。

人は誰でもなにものにもとらわれない絶対自由で純粋なもう一人の自分、真人がいるはずだ。それがお前の面(おもて)から出入りしているのがわからぬか、まだわからぬならばしっかりと看よ、看よとほえている。

神人合一をめざしてすすむ道に、社長も社員もない。金持ちも貧乏もない。地位も名誉も男女・年齢の区別すらなく、一切のこだわり・とらわれを捨てきって、至誠と愛念の純粋な内なる真人と一体とならなければならないのだ。

あなたがもし十代、二十代、三十代前半であれば、少々、我と慢心が顕れ出ようとも”勇猛”をもって自力を引き出すことに専念せよ。しかし、三十代後半、四十代以降となれば、築きあげた自力運をみきわめながら、他力運の開発に力を注ぐことだ。謙虚で愛念にみち、そして、体施・物施・法施のうち自分に一番ぴったりの徳分を積むことに意を払うべきだろう。そうすれば、おのずから強運を自分のものにすることができるのである。

自力運が即他力運となり、その他力運のなかに自力運がしっかり溶けこんだ真の強運が身についたとき、あなたは、絶対的な運の持ち主として、現世の社会のあらゆる難関を打ち破ることができ、また死してからも、幻妙に輝く魂となって、神のもとにつかえることができるのである。




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by 2nike | 2015-12-31 17:21 | 絶対運

カルマ解消には業を上回る徳を積むこと

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


目標に向かって努力する意欲がわかない、あるいは途中で努力を放棄してしまう、その原因は徳が足りないから」で徳の三つの種類について触れ、「どうしたら徳を積めるのだろうか」という問いかけがあった。その答えにあたるのがこの段となる。
以下は深見東州氏の著書「絶対運」より。

では、積極的因縁解消法とは何か。
それは、業(カルマ)と同じくらいの徳を積極的に積むことである。

不運とは、自分が苦しんで業をあがなうという消極的なものであったが、もう一方で徳分を次から次に積むことで、カルマを早いスピードで解消し、場合によっては、福徳というおつりをいただけるようになる。そうなるとしめたもので、運命の歯車は幸運のほうへ大きく回転しだして、いよいよ加速度がつき、爆発的なしかも本物の強運となる。

徳分は三つの方法で積む。
●体施(たいせ)
●物施(ぶっせ)
●法施(ほっせ)

体施とは、からだを使って労働奉仕をすることである。たとえば上野公園の出入口や駅前の広場を、せっせと掃除をしてきれいにするとか、新宿の公衆便所を毎日毎日、きれいにみがきあげるといったことを、一年間とか二年間とかの期間中、続けて行うことである。

隣りの寝たきり老人の下の世話や食事をつくったりすることを二、三年、無報酬で、しかも人に自慢することなく黙々と続けるのも、体施であり、徳分が確実に積み上げられてゆく。

しかし、仕事をもち家庭もあったりすればそういう気持ちはあっても、実際にはなかなか体施などできないのが現実である。

そんなときは、一番簡単な、物施をやればいい。物施とは、お金や物品で施しをすることである。忙しく身体をつかってできない場合には、自分の収入のなかから、お玉串とかお布施をするのがそれである。

この物施は、体施よりも実行しやすいが、しかし、それほど徳分にならない場合がある。たとえば神さまにお捧げするお玉串を、審神(さにわ)してみるとわかるのだが、「この程度の金を包んでおけばいいだろう」とか「これだけ包むのだからちゃんと功徳も大きいんだろうな」とか、ひどいときには「どうせ金もうけなんだろう、つきあいで恵んでやろうか」といった気持ちがこめられていたりする。気の毒だが、こういう物施はほとんど徳分にならないのである。

そこには神さまへの真心と愛念がひとかけらもこめられていないからだ。

布施ということばに象徴される神仏にたいするあり方を理解できないからだろうが、神仏や相手に恵んでやるという気持ちがあるとき、もはや布施ではなくなる。そうではなくて、捧げさせていただくと考えなければならないのだ。

功徳を積まさせていただくのである。
カルマを解消させていただくのである。
恵んでやるという態度と、徳を積ましていただく姿勢とでは雲泥の差がある。

法施とは、神仏や真理の道を説くことによる施しである。
和顔愛語(わげんあいご)
これも施しのひとつである。いつもなごやかで優しい表情で人を迎え、愛念にみちたことばで他人に接する。接した人は心なごみ、ことばによって勇気づけられる。これであなたはひとりの人をささやかながら救ったことになる。

真の施しの行為の中には、神と人に対する至誠・愛念とともにつねに感謝のこころがこめられているのである。

だから、つねに強運の人は感謝に生き、不運の人は怨嗟に生きている。

運・不運の分かれ道は、日常のそういうところにはっきりとあらわれてくるものだ。





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by 2nike | 2015-12-30 21:29 | 絶対運

善因善果・悪因悪果は、この宇宙の絶対の法則

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


カルマの解消については、他の著書でも書かれているが、一番関連性が高いのが「大除霊」の次のエントリー
ワールドメイトの救霊を受ける前に知っておくべきこと。その後にすべき大切なこと。
以下は深見東州氏の著書「絶対運」より。

運命は改善できるというからには、カルマ・因縁を解消することができなければならない。それには二つの方法がある。

●消極的因縁解消法
●積極的因縁解消法


善因善果・悪因悪果は、くりかえすがこの宇宙の絶対の法則である。
泣いても笑っても、播いた種はいつか自分が刈り取らねばならない。

それは神さまがおきめになった法則なのである。したがって、この世のどんな不運も、それはかつてあなたがつくった原因によるものだと腹をくくることだ。逃げるわけにはいかないのである。

では、消極的因縁解消法とは何か。

不運になることである。むろん自ら不運になることではなく、もし、いまあなたが不運ならば、そのこと自体がすでにカルマの解消を行っているということなのだ。

不運であるそのこと自体が、消極的すなわち受身の形でカルマを解消しているのである。借金を自分から返済しているのではなく、かつて借金していたことを忘れていて借金取りに訪ねてこられて、いやいや返済しているようなものだ。

どれくらいの借金か、どれくらい深い因縁かは、不運の度合いによってはかれる。それを重い順に列挙してみよう。

1.死
2.貧窮。貧乏のどん底。
3.病気。事故。
4.不運な人間関係。
5.適性のない仕事。

二番目の貧乏と三番目の病気は、その度合いによって順位が入れ換わる場合がある。
不運な人間関係とは、職場であれ家庭であれ、信頼されないとか、悪評に泣くとか、あるいはいつも同僚と対立し孤独であるとか、家庭でつねにいざこざがあり夫婦ゲンカ、親子ゲンカが絶えないといったことだ。

この中でもっとも軽いのは、好きでもない仕事に就き、仕方なく生活のためにはたらくという場合である。

こういう不運に見舞われたとき、もし自暴自棄になったり、己の不運を呪い、周囲を憎んだとすれば最悪である。せっかくその不運によって過去のカルマが清算される絶好のチャンスに否定的になってしまっては、まったくの逆効果であるからだ。

一つの不運がきたら、「あ、借金の返済ができた。何もしないのに有難いことだ」と、感謝するぐらいでなければならない。そのためには、カルマ=業の仕組みをよく自分に納得させておくことだ。

そして、「災難に遭う時期には災難に遭うがよく候 死ぬる時期には死ぬるがよく候」という良寛和尚のことばを、もう一度よくかみしめたい。




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by 2nike | 2015-12-26 21:00 | 絶対運

運・不運はこのようにしておきる

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


この本で述べられているように、確かに、他の書物では運・不運の原因を本人の精進努力という点だけで論じたり、本人の前世と家系の因縁をごちゃ混ぜにしたカルマで論じている。

自力運・他力運といった二極から強運を説いているのがこの本の特徴だが、さらに運・不運の原因を三つの要素に分類するなどの独創性をもち、どのように運命を改善していけばよいかがわかりやすく書かれている。

これから、最終章となる第四章の後半となるが、この部分は何度も読み返したくなる重要な部分といえるだろう。
以下は深見東州氏の著書「絶対運」より。

生まれながらにして、ある人は運がよく、ある人は不運であることは事実たしかにある。そして生活していくうちにやがていつの間にか逆転している場合もよくあることだ。

ひと口に運・不運というが、それは、大きく三つの要素からなりたっている。

●本人の境地と(後天的)精進・努力
●本人の前世におけるカルマ
●家代々の因縁

世の霊能者や超能力者の多くは、ツキを呼ぶとか、運をよくしようといったテクニックを駆使し、本人の精進・努力のみをあつかう。でなければ、本人の前世も家系の因縁も一緒くたにしてカルマで考えようとする。

だが、神霊界の実相をよく見て、守護霊を鑑定して、何百年、場合によっては何千年も何万年もの前の時代にさかのぼったり、逆に未来をもみたりして、また、救霊(除霊)によってさまざまな霊たちと接触してきた私からいえば、ひとりの人のカルマ(業)は、さきにあげた三つの要素によって動いていくということなのである。

いわば、それが命を運ぶこと、すなわち運命ということになるのだ。

「なぜ、あなたがいま幸運なのか、なぜ不運に泣いているのか」といえば、ひとつは、あなたが前世で何を為したか、どんな原因をつくったか、なんの種子を播いたかによる。

人を苦しめ、いたぶり、物品のみに価値を置いて生きた前世であったのか、また次から次と女人を漁り、酒池肉林のなかであけくれていなかったか、あるいは逆に人びとを救い、困窮にあえぐ人に手をさしのべたか・・・・・・などなど日常の行動によって、決められた今生のあなたのカルマと、あなたが縁あって生まれてきた父母の家代々のカルマとがからみ合って人の運は変わる。

つまり、個人と家の因縁が組み合わさるわけだ。

したがって、本当に運命を改善しようとすれば、それらをよく知って、前世の個人と家代々うけつがれてきたカルマという借金の合計額をつかんで、その返済に励むことが必要である。

人間は輪廻転生をくりかえし、あるときは善徳が花開く麗しい人生を送ったり、あるときは過去世の苦渋に満ちた悪因のために、ひたすら忍従の一生であったり、それぞれのサイクルのなかで試練を受け、あがないをしつつ、御魂を向上させていく。

「積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃あり」

というように、個人の魂の成長は、家という因縁織りなすカルマとさけがたくともにあるのだ。

では、そうした運命は変えられないのか。

いや、変えられるから、命を運ぶことを運命というのだ。

われわれは、運命を改善しようというのである。なぜなら運命は改善されることを待っているのである。われわれの御魂は向上することを期待し、そのチャンスを待っている。なぜなら、それが宇宙創造のス神のみこころだからだ。
したがって私はあえてふたたびいう。
「人間は誰でも強運であり、幸福になる義務がある」と。





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by 2nike | 2015-12-17 16:16 | 絶対運

恋人や家族、また上司との運のよくなるつきあい方

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


本文中にでてくる”必殺水際作戦”ということばが懐かしい。ワールドメイトに入会して初期の段階でこのことばを学び、いつも意識して、ネガティブなことばを喉もとで止めていた記憶がある。実際にやってみると、思っていたよりもよく止まる。今後は、人間関係を良好にするために、”必殺水際作戦”を再活用しようと思う。
以下は深見東州氏の著書「絶対運」より。

「恋人や家族との運がよくなるつきあい方」

恋人や家族など親しい人たちとのいい人間関係をつくるコツとは何か、まず第一に「自分に近しい人に一番気を遣え」ということである。もっとも遠く離れた人には「堂々と、そしてもっと親しみをこめてつきあう」ということがポイントとなる。

夫や、妻や、恋人に対しては、その関係が長ければ長いほど、どうしても慣れが生じる。その結果、ついつい自分の立場からだけの厳しい要求をしがちになるし、ことば遣いにも思いやりが欠け、荒々しさがでてしまう。

欠点や短所を追及し、相手の性格や、外見を無理矢理変えようとすれば対立・抗争しかなく、ともに傷つき疲れきって運気も弱くなる。しかもケンカし傷つけ合って損するのは、結局自分自身なのである。

夫婦であれ、恋人であれ、相手を変えようと思ってはならない。変えるべきは自分である。己の態度・ことばを変えさえすればそれに応じてしだいに相手も変化してくる。

その上で、本人にわからぬよう、相手の守護霊さまにこう祈るのである。

「妻に対して、私のこういうところがまずかったと反省し、あらためます。どうぞ、妻の守護霊さま、妻のイライラ、ヒステリーがおさまり、円満な家庭が築けますよう、ご守護のほど、よろしくお願いします」

こういったことを、自分の状況に合わせて、口に出し、誠意を込めて祈ると、しだいに夫婦の関係もよくなってくる。



「上司との運がよくなるつきあい方」

単純にいえば、職場での人間関係がまずいのは、真心と愛が足りないか、その表現がへたであるためだ。そしてまた、自分の心のなかに、どこか偏りとゆがみとをもっているからである。

相手に好意を持てば相手から好意を持たれるし、憎めば憎みかえされる。善因善果・悪因悪果という。善を積めば、善の結果がうまれ、悪因を積めば悪い作用があるというのが自然の法則なのであり、そしてまた、神さまの掟はどんな場合でも適用するのである。

いかなる場合でも、至誠と愛の念を貫くとき、そこに大きな他力が動くものである。自力とともに他力がはたらかないとすれば、それは至誠ではなく愛でもない、別の要素が心を占めているからであろう。

職場における人間関係も原則は同じだ。だが、そこには会得しておくべきちょっとしたコツがある。

まず、「叱られたときにどうするか」である。”部長なんかくそくらえ”とことばに出すと、それが結局は自分の運気を損なうことになるので、喉もとまで出かかってもことばをそこでピタッととめる。必殺水際作戦を展開するのである。

さらに、「こんちくしょう」という腹立ちの念がふきだすのを水際でとめる努力をする一方で、別の角度からの部長の立場を並行して想うようにする。

自分の心を愛念でみたす訓練をしていると、怒りとか憎悪がわいてもすぐ消えてゆき、オーラも暗い色から、オレンジ色、ピンク色に変わって輝きをましていく。そこで守護霊が感応しやすくなって本人のために全力を尽くすようになる。

さて次に、無愛想で意地の悪い上司にはどう対応するか。
基本は同じであるが、あなたのほうがもっと積極的に相手に愛の念をおくるのである。

やりにくい上司には、まず、明るい笑顔で誰よりも先に挨拶する。次に、その上司の美点・長所を探しまわって、会話の冒頭に必ずそれを先にいう。

形容詞や枕詞(まくらことば)をよく研究して、相手の長所・美点に即応する使い方になれておくと、そのことばに乗って、情感もでるようになり、愛の念が本物になって流れ出すのだ。

それはちょうど神社に行き、参拝するときの祝詞(のりと)と同じである。祝詞とは、意を乗せる、情感をのせてご神霊と一体化するためにあるものなのだ。

その祝詞だが、ご神霊への至誠や愛の念をのせるために、どんなオンボロのお社に行っても、「もの古(ふ)りたるこの社」とかいって素朴な良さを誉めたたえることからはじめるのである。樹木をたたえ、社の素晴らしさをほめるというのは、その情感のなかに、自分の意をのせて、祈るためであり、その祈りが、ご神霊に届くようにしてもらうためなのだ。

枕詞とか、序詞というのは、たとえば「ひかり」とぶっきらぼうに表現するのをさけて「久方のひかりのどけき」などと情感・美しさを表現するためにあるものであって、これは人間関係にも活用できる日本人の知恵なのである。





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by 2nike | 2015-12-15 21:35 | 絶対運

他力運倍増にもそれぞれ祈り方がある

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


金運の”三宝荒神”、売り上げ倍増の”蔵王権現”、人間関係と福徳の”三面大黒天”への祈り方については「大金運」に書かれているので、近いうちに紹介しようと思う。
以下は深見東州氏の著書「絶対運」より。

他力運というのは、守護霊さまをはじめ守護神さま、諸々の仏さまや神さまのわれわれを応援して下さるはたらきのことをいう。

したがって発願し、神仏にその実現を祈ることは遠慮することなく積極的にどんどんやるといい。

いや、そうやることこそが”発願”でもある。つまり、仏さまや菩薩が衆生を救おうと誓願をおこすこと、一大決意の表明が発願のはじめの意味であり、そこから神仏に願をたてることをいうようになったものだからである。

神仏への祈願のコツは、大きな願いにはそれを実現できる大きなはたらきをもつ神さまに、小さな日常的な希望ならばそれ担当の神さまや仏さまに、焦点をしぼって行うということである。

つまり、発願の大小・種類によって神仏の担当がそれぞれ違うということをよく知っておくことが大切だ。これを知らない人が意外に多く、はたらきが違う神さまに、見当違いの祈願をして、”何の効果もない”と愚痴ったり、ケチをつけている人がいる。
「これは八百屋で魚を求める」ようなものである。

もうひとつは、発願した内容、大小によって、実現する期間が違ってくるということだ。たとえば、伊勢の天照大神さまは日常的な小さなことを祈願してもお動きにならない神さまである。大きな局面で大きく動き、しかもその効果がでてくるのが早くて6ヵ月ぐらいで、一般的には一年以上かかる。ところがそれを知らない人が、伊勢に行っても何の効果もないなどと本に書いていたりする。

伊勢神宮は、国家を預かる政治家とか、会社を運営する経営者やその幹部、あるいは個人であっても、自分だけの小さな願いではなく、一人でも多くの人々に何らかの形でプラスになる活動の祈願とかに反応して下さる神さまなのである。

同じ会社でも月々の売り上げや年商を上げるにはどうするかといった内容ならば、会社のある近くの産土の神さまが担当であるし、その日その日の問題ならば、自分の守護霊さまや相手の守護霊さま、あるいは荒神さまに祈るとよい。

大きなはたらきをする神さまであればあるほど、その効果が現れてくるのに時間がかかり、小さなはたらきの神さまならば小さな願いにふさわしくすぐに実現する。

このように、自分の願いの大小、時間の早さ遅さ、願いの種類によって、神さまのはたらきをよく見きわめて、使い分けをしなければいけない。

しかし、われわれが祈る他力の中心というのは、この宇宙天地の創造ス神であることを念頭におくことだ。そのス神は、日本では天照大神さまであるが、この大神さまにフォーカスを合わせる一方、さらにそのもとで直接窓口となっている産土さまや荒神さまや守護霊さまに祈ると一層効果が高い。

祈願するときのもう一つのポイントは、大きな目的は抽象的に、小さな要望は具体的に祈るということだ。

たとえば、祈るならば、こうありたい。
「天照大神さま、なにとぞ会社においてもまた日本人としても、会社に役立ち、大勢の人々に役立つ私としてご守護お導き下さいますようよろしくお願い致します。ドイツ語を勉強中ですが、早くマスターして日本とドイツのためにはたらける人物として、何卒お導きくださいますよう・・・・・・(略)」
と抽象的に大きくお祈りし、

「守護霊さま、ホントにすみません。女房に内緒であれほど禁じられていたカケ麻雀に手を出し、小遣いすべて巻きあげられました。今後はそのようなこと致しませんので、今月の十日までに三万円の小遣いが手に入りますようよろしくお願い致します。ドイツ語の勉強にも精いっぱい集中して頑張ります」
といついつまで何をどれくらいというように具体的に祈るのがコツである。

いずれにしても、心が誠の道と神明の加護に値するものであれば、神さまはお祈りしなくても助けてくれるし、大いなる他力運を授けてくれる。

神人合一をなした人物のひとりである菅原道真の歌を、拳々服膺(けんけんふくよう)したいものである。



心だに誠の道にかないなば
 祈らずとても神や護らむ



他力運を百倍効率よく動かすには、これまで述べてきたコツに、それを支える誠が絶対に必要な条件であることをくりかえし述べておく。




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by 2nike | 2015-12-11 23:02 | 絶対運

失敗したときに立ち直る簡単な方法

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


文中に出てくる四忽主義については、こちらを。
儒教の根源の根源となっている名文「道心これ微かにして、人心これ危うし」と、四忽主義との深い関係と意義

「六根清浄の誓い」については、次のとおり。
●目にもろもろの不浄を見て、心にもろもろの不浄を見ず
●耳にもろもろの不浄を聞きて、心にもろもろの不浄を聞かず
●鼻にもろもろの不浄を嗅ぎて、心にもろもろの不浄を嗅がず
●口にもろもろの不浄を言いて、心にもろもろの不浄を言わず
●意にもろもろの不浄を思うとも、心にもろもろの不浄を思わず
●身にもろもろの不浄を触れても、心にもろもろの不浄を触れず
以下は深見東州氏の著書「絶対運」より。

たとえ徳分があっても才能があっても、失敗するときは失敗する。まったく失敗しないということはない。

大切なのは失敗したときにどうするかということなのだ。

あなたの守護霊が高級霊であり、しかもあなた自身に大きな力が秘められていれば(というよりも大きな能力を持った人にはそれにふさわしいさらに力のある守護霊がつきそっているものであるが)、そんな場合には、あなたは何回も失敗をさせられ、幾たびも困難な状況に追い込まれるものである。

なぜか。あなたを徹底的に錬磨し、眠っている能力を引き出し、ゆるぎない本物の実力を養成するためである。

ピンチのあとにチャンスあり、というではないか。

「よしヤルゾ! ピンチをチャンスに変えよう」という勇猛心をふるいたたすとき、はじめて大きな他力がはたらいてくるのだ。

その大きな他力が発動するとき、失敗は失敗でなくなり、結実・成就へのひとつの素材となるのだ。その強烈な他力に点火するのが、あなたの”勇猛さ”なのである。

つまずき、失敗したと思ったとき、人はあれやこれやいうだろう。そのひとつひとつに気をとられていれば、ひたすらめいってしまうばかりである。

そんなときは、しばらく「見ざる・聞かざる・言わざる」のおサルになるか、前にふれた四忽主義でゲンコツ握って耐えるか、六根清浄をぶつぶついうか。

はたまた天衣無縫な生活のなかで優しく強いあの良寛の詩でも口ずさんでいればいい。



不倒翁に題す
人の投ぐるに任せ 人の笑うに任す
さらに一物として 心地(しんじ)に当るなし
語を寄す 人生もし君に似せなば
よく世間に遊ぶに なに事かあらん



「おもちゃの起き上がりこぼしクンよ、人にどうされようと任せっきりで、まったくなにごとも意(心地)に介さない。お前さんのように過ごせば、この世に何にも困ることはないなあ」というわけである。

しかし、もっと勇ましくいきたいというのであれば、かの山中鹿之介が火をふく思いで言っている。



憂きことのなおこの上につもれかし
 限りある身の力ためさん



身のひきしまる覚悟である。いずれにしてもこうした決意があるとき、他力運がグンと強力パワーを発揮してあなたのピンチを救ってくれるのである。





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by 2nike | 2015-12-10 22:00 | 絶対運

目標に向かって努力する意欲がわかない、あるいは途中で努力を放棄してしまう、その原因は徳が足りないから

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


人徳、地徳、天徳については、無形の宝とは「徳と功候」。徳には「地徳」「人徳」「天徳」があり、善には失敗しやすいパターンが三つある
でも紹介しているので、ご参照あれ。
以下は深見東州氏の著書「絶対運」より。

目標に向かって努力する意欲すらわかない。じつはこれで多くの人たちが悩む。だが、この実状を掘り下げれば、「努力しても自力がでず、成果があがらない」のではなく、成果があがるほどの自力がでるまえに努力を放棄してしまうのだ。

しかし、「努力しただけ成果があがった」となると、もうしめたもので、次のステップに飛躍するのは、それほど困難なことではない。

では、なぜ努力する力を失うのか。

賢明な読者諸兄はご存じのように、徳が足りないからである。

成功の法則やツキを得るために著されたハウツウの出版物はいろいろあるが、この徳について正面からとりあげているのは少ない。想念の使い方など心の技術的なノウハウには詳しくても、それからのテクニックを支える徳を正しくつかまないと、現実的にはあまり得をしない。

この徳あるいは徳分によってあなたの自力運と他力運はどうにでもなる。つまり、徳分を積む量にそって、自力運が高まり他力運が引っ張り出されてくるのだ。

これまでどんなに成功するハウツウやツキを呼ぶ技術を学んでも、少しも成果があがらなかったとしたら、この”徳”に対する考えが欠落していたからだ。

では、徳をどうしたら積めるのだろうか。
まず、徳の三つの種類からみていこう。

人徳とは、自分自身を修養して高めている人格面をいう。その人物の人間的色あい、魅力をさしている。

地徳とは、前世において自分がどれほど徳を積んできたかという過去の徳分のこと。

天徳とは、神の道に生きようとする人間、根源的な信仰力をもっている人間に備わるもの。神仏に深く帰依しているとか、天のまさしき道を貫いて生きてきたとか、あるいは神さま仏さまに対して功徳をつみ信仰力を磨き錬磨し、一人でも人を救済してきた人は、天の徳が授けられている。

たとえば、天徳があっても地徳がないとすれば、あなたの望みは世の中で、結実・成就しない。「発想・ヒラメキは抜群だけど、どうも現実に役立たないんだよなあ」といわれるのがオチである。

地徳があって天徳がなかったらどうなるか。「あいつ、何やっても結構うまくいくけど、スゴイ発想で時代をリードするといった、叡智の香りみたいなものとはまったく無縁なんだよな。才能があっても、あれが限度だぜ」

人徳がないと、「たしかに彼は成功しているかも知れないけど、あんなに狡猾で悪辣だといい死に方しないね。みててごらん、そのうちポックリ・・・・・・」
こんな声が聞こえてきそうだ。

人間誰しも完璧な存在ではないが、少なくともどうすればそうなれるか、それに近づけるかの方向性がはっきりしたのであるから、今こそあなたの努力目標を徳を得る方向にピタリと定めることだ。




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by 2nike | 2015-12-07 16:52 | 絶対運

自力運と他力運とでより強力な運を獲得するための方法。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


自力運と他力運とでより強力な運を獲得するための方法を要約すると、
暇をつくらないようにして、自力運を発動させるきっかけにすると、それにともない他力運も動き出す。
とりあえずの目標をたてて、その一瞬一瞬に集中しているとき、こだわりのない心が生まれ、チャンスがみえてくる。ここで、善なる待機が生きてくる。
気をつけなければならないのは、慣れに流されるとツキも流されること。「日に新たに」を心がけ、日々新鮮な気持ちをもつことが肝要である。
以下は深見東州氏の著書「絶対運」より。

自力を伸ばすべく努力を続けていると、それにともなって他力も加わってくる――これが運の原則であるところが面白い。

このどこが面白いかといえば、ツキというのは、たんなる偶然ではなく、ツクべくしてツクものだからである。

ツキというのは、幸運、ラッキーのことであり、それを私は他力運と称している。そのことはこれまで何回か説明してきているが、自力運・他力運とわざわざ使い分けをしているのは、ツキとか幸運とか不幸という漠然としてとらえどころのないものを、ツキを呼ぶ、すなわち運を強めるというかたちで確実に体得するためである。

他力運があるということは、ツキがあり強運につながることであり、それは自力運をあと押ししてくれる守護霊たちのはたらきが強いということでもある。

そして、ここで話は原則にもどるのだが、守護霊たちの大いなるあと押し、つまりツキを得るのは、結局、自分自身の精進・努力と正しい方向性の結果であるということである。

そこをとらえて、
「天は自ら助くる者を助く」
といわしめているのであり、さらに、
「天道、人を殺さず」
とも表現されている。奇しくも洋の東西を問わず、同じ意味のことをちゃんととらえているのは、それがまさに真理だからである。

ツイているか、ツイてないか。他力運があるかないか。

それは、すべてあなた自身の内にある。他力運を得ようとするならば、自力運をまず強めなければならない。自力運を開発していくことが、即運勢をよくしていくプロセスでもある。

では、ここで自力運と他力運とでより強力な運を獲得するための方法をまとめておこう。
①善なる待機。

②日々、時々刻々の充実・・・・・・ただ今に生きる。

③目標を持つ――さしあたり、とりあえずの目標でよい。

④こだわりの無い心。

⑤日々新たに――。

①~⑤の詳細は次のとおり。

①について、「”善なる待機”とは、精進と必死の努力の結果を、心楽しく待つこと。」を参照のこと。

②、③について、”ただいまに生きよ”とか”とりあえず目標をもて”という言葉は、やる気が無く無気力になる状態や不安やあせりや自信のなさから脱出する具体的な方法論であり、かつ実際的な知識や技術をも身につけるという効用があることを、十分理解していただけたと思う。

別のことばでいえば”暇”をつくらないようにするとうことだ。
「小人閑居して不善をなす」
と昔の人もいっている。

④について、とりあえずの目標をたてて、その一瞬一瞬に集中しているとき、こだわりのない心が生まれている。禅で得られる、柔軟でこだわりのない心境が、ただいま、ただいまに生きているときに体得できてしまうからだ。

やわらかでこだわらない態度が培われるとき、あなたの目には、いろいろな現象がありのままの姿で映るはずである。そうすると、運命という列車の走りぐあいがよくわかり、ここがチャンス。さあ、乗ろう、と決断でき、迷わず幸運列車の乗客となれるはずだ。

善なる待機が生きてくるときである。

⑤について、気をつけなければならないのは、とりあえずの目標が達成されやすい、つぎに設定するとりあえずの目標にすすむ途中で、安定した生活に安住してしまいやすいことである。

安定した生活が確立できること自体、それはそれで非常に素晴らしいことなのだが、その生活に慣れてしまうと成長にストップがかかるという危険性があるのだ。

「日に新たに」を心がけることは、儒教では必読の古典といわれてる「大学」の中にある。私が二十前後からボロボロになるまで愛読した本のひとつでもある。

「日に新たに、日日に新たに。また日に新たなり。」

「大学」のことばは、殷王朝の創始者である湯王(とうおう)が座右の銘として、洗面する器に刻み込んでいたという。





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by 2nike | 2015-12-03 16:53 | 絶対運