カテゴリ:神社で奇跡の開運( 32 )

すわ一大事の時に諏訪大社に祈願する

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


諏訪大社の奇跡の開運の秘訣と霊的解釈は、
「アルプス連峰は世界を代表する大神界」

「ワールドメイトブログ 豊かな人生を」さんの「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年11月6日後半に、諏訪大社のことや、みすず学苑の由来などが書かれているので、少し引用させていただきたい。

ミスズという音は、信濃の国の枕詞なんですね。みすずかる信濃の国にます・・・・・・。
諏訪大社にいったときに、みすず学苑をつくっていく財政的援助をしてくれて、やろうよという気運が出た。これは諏訪大社の無から有を生む神様。

だから、すわ一大事の時に、会社が倒産してこれからどうやったらいいかとか、初めて会社をする時にどうなのか、あるいは逆に、選挙で落選してこれから一からやるというような時には、そういうときは諏訪大社に行くと、本当にすわ一大事なんで、ぶわっとこの、諏訪の龍神さんのようなかたちで、柱が立ってくる。


以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

本州を横断する中央地溝帯中央部に位置する断層湖、諏訪湖。この湖をはさみ、南北に上社と下社とが鎮座しているが、これを総称するのが諏訪大社である。私がもっとも多く参拝してきたのは、この諏訪大社と箱根神社である。

諏訪も、箱根と同じく生き生きとした大自然の中に壮大なる大神霊界を形成している。

諏訪の背後にそびえ立つ南北のアルプス連峰は、日本と世界を代表する大神界であり、諏訪の神々はその神界の入り口を取り締まっている。諏訪大社は長野県の一之宮という地位にあるが、それは、圧倒的なスケールと峻厳さを誇るアルプスのある長野県という、日本一の神霊磁場をあずかる一之宮ということだ。

アルプス大神界の霊気は、皇室をお護りする偉大な力を秘めており、皇室に異変が起きそうな時には、「すわ一大事」とその大神力を発揮されるのだ。諏訪に発するご神力や龍神信仰の背景となるのが、このアルプス大神界の大霊気であり、大霊力なのである。

遠い昔より日本には、スワ族とミワ族という二つの霊系集団があった。スワ族とは、諏訪大社の神系にまつわる御魂をもつ人々であり、ミワ族とは、三輪大社の神系にまつわる御魂をもつ人々のことだ。この二つは、ともに宇宙の中心大祖神を祀り、日本と世界との神霊的なパイプ役を務める皇室の側近くにあって、皇室をお守りしている御魂の霊統なのだ。

両族の関係を歴史の上で見てみると、統一国家を成立させんとした時の推古天皇はスワ族で、聖徳太子はミワ族である。南北朝の動乱期に、正しい皇統を守るべく立ち上がった新田義貞はスワ族で、楠木正成はミワ族であった。また、明治維新の動乱期にあっては、山岡鉄舟はスワ族で、西郷隆盛はミワ族であった。

では、現代はどうか。遺憾ながら、スワ族、ミワ族ともに、往年の力を発揮しているとは言い難い。第二次大戦の敗北によって、天皇制が変貌し、神社が一宗教法人となり、日本の伝統教育が否定されたため、若い人々の御魂の中に存在すべき、惟神の道の精髄が廃れようとしている。

現在、国際化の波の中でわが国は大いに揺れ動いているが、新しく訪れる時代こそ、日本の時代なのである。その新しい時代を支えるのは、融和と協調を主とする古来よりの日本の思想である。その何よりの証拠は、EC(欧州共同体)の前身、EEC(欧州経済連合)の成立の歴史を見ればわかる。いわば、惟神の国日本の精神が、EECを生む発端と原点を作ったことになる。このような形で、融和の日本精神が世界平和と世界連邦政府樹立に貢献し、受け入れられるようになるのである。その日がまちどおしい限りだ。




ご来訪いただきありがとうございます。
ブログのランキングボタンをクリックしていただくと嬉しいです。
     ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ ワールドメイトへ
ワールドメイトへ

by 2nike | 2016-02-21 20:29 | 神社で奇跡の開運

箱根神社への理想的なお参りの仕方(2)

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


本文には、箱根神社の奥宮の天御中主之神はどのような神様であるか。また、箱根にお参りする三つのポイントが書かれている。
祈りのノウハウと神霊的な叡智こそが、神霊を動かす無形の如意宝珠(にょいほうじゅ)となる。箱根にお参りする三つのポイントを念頭に置いて、そういう所でお参りをしているという強い自覚をもって、素直な気持ちで真心を込めてお参りをすること。そうすると、強い自覚が強い感応力となり、開運大祈願が成就する。
以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

はたして天御中主之大神と国常立之大神は同じ神様なのか。答えは簡単、名前が違うから、異なる神様である。ところで、神道ではよく同体異名(どうたいいみょう)という言葉を使う。同じ神様で、名前が違うだけだという意味だ。猿田彦や大国主之命には色々な名前があるが、名前が違えば働きが違う、働きが違えば姿が違う、衣装も顔もまったく違うのである。

だから、神霊界では同体異名というのは大変重い意味を持っていて、むしろ、同じ霊統を引くまったく異質の神であると考えた方がい。国常立之大神と天御中主之神との関係も、実はこういう関係なのだ。

では、天御中主之神とは、どの次元を治める時のス神のことを言うのか。答えは、太陽、水星、金星、地球、月、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の太陽系の十一個の星と北極星と土星の輪を統括するときの御名である。

この神様が、箱根神社の奥宮に降臨されているのだ。優しいお顔で質素なご神姿をしておられる神様だが、数種類のお顔に変化して、お働きの自在性を発揮されるのである。詳しい事については天界の機密事項なので、世の為人の為、神の道に生きると決心した方にしか、正確にお伝えすることは許されていない。ご了承願いたい。

また、俗に箱根権現と申し上げる時には、彦火火出見之尊(ひこほほでみのみこと)が現れて、勝負に勝たせる神となって、お出ましになる。これも、その神との神霊交流を自在で容易にする為には、ご神名の霊的解義、神姿の正確な描写、ス神から賜与された正確なその神霊のお働きと役掌を知らねばならない。

そうしてはじめて、その神霊と一つになって、神霊運用の妙を発揮することができるのだ。その神の真を得てはじめてそのご眷属のパワーも活用して、万人を幸せに導くこともできるようになる。

「箱根にお参りする3ポイント」
●箱根は箱根の山々峰々、小川のせせらぎをはじめ、雄大な芦ノ湖を御手洗池として、それらすべてが神域。さらに、ご神霊に引率される龍神群、天狗群、蛇神群などのご眷属の数も量も圧倒的に多い。(霊威、霊力、成就力の実際は、ご祭神の神格もさることながら、ご眷属の種類と数量に負うところ大)

●国家の神仕組の方向として、天皇陛下が京都から東京に移られた後、皇室と日本国の中枢を守らんがために、国常立之尊はその系統の神々とともに、この箱根神域を中心にその和魂力と奇魂力を発揮され、国家の守護と国政の仕組みを陰から導かれている。故に、至誠で祈り向かえば、天下国家を動かす神力を授かることができる。

●太陽神界から直接に降り来たる神界が、富士山を中心とした富士神界であり、これはフの働き、つまり「増える、殖える、吹き上げる、笛吹く、布す、噴き出す」という陽の働きの神界。この箱根神域には、陰の働きをする神仙界がある。
・ハコネ・・・神様の道を極め、己を霊的に見つめ直すことで、神仙の世界へと私たちの御魂を運んでくれるハコフネ。
・ハコフネからフが抜けてフがフジになり、ハコネになった。
・ハコフネ→方舟。正しい方向に国家や私たちを導いてくれる霊的な存在と働き。

その他にも、色々な言霊解釈が成り立つが、こういうことを霊的解義とか、神霊的咀嚼力というのである。皆さんにはわかってもわからなくても、なんとなくそうなんだと信じてお参りするだけで、神霊感応力は断然すぐれたものになるはずである。祈りのノウハウと神霊的な叡智こそが、神霊を動かす無形の如意宝珠(にょいほうじゅ)となるからである。

※本文にある「ス神(すしん)」の「ス」は、「○」の中心に「・」を入れた表記が正しいものだが、便宜的に「ス神」とした。




ご来訪いただきありがとうございます。
ブログのランキングボタンをクリックしていただくと嬉しいです。
     ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ ワールドメイトへ
ワールドメイトへ

by 2nike | 2016-02-19 20:38 | 神社で奇跡の開運

箱根神社への理想的なお参りの仕方(1)

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


箱根神社の開運の秘訣と霊的解釈について、次のように整理した。

●箱根神社には、三神が祀られており、駒ヶ岳の頂上にある奥宮には造化三神が祀られている。
●色々な神々のご神名とは、全てスの神の働きの一部や局面を物語るものであると考えてよい。ご神名こそが、そのカミの働きを物語るすべてであり、ご神名の言霊こそが霊妙不可思議なるその神の働きを表すすべてなのである。
●星や、全ての星雲、星座には主宰神と総称のご神名があり、それを霊的に体得し、知悉できてはじめて、宇宙神のお取り次ぎができ、その宇宙パワーにおける秘法も自在にやれるようになる。

以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

箱根神社というのは、一体どんな神様が祀られているのであろうか。ご祭神は天孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、その妻神 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、その息子 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)のご三神である。

そして、駒ヶ岳の頂上にある奥宮には造化三神が祀られている。造化三神とは天御中主之大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、高皇産巣日之神(たかみむすびのかみ)、神皇産巣日之神(かみむすびのかみ)のことである。

天御中主之大神は「古事記」における万物創造の主神とされる神である。ちなみに、「日本書紀」では国常立之尊となっている。どちらが本当の主神なのか。このご神名の違いをどうとらえれば良いのか。読者の迷うところであろう。神道を相当深く勉強している人でも、はっきりとしていない人が多い。学術的にも、古文書を見ても、諸説紛々として明確でない。

私は植松先生から学び、ご神霊から直接教えていただいた事を言ってみることにする。宇宙創造神とは、「点」であり、、質量も体積も波動も神姿もないが、無ではなく、有の始まりである。それに働きが始まって、絶対権をもたれた状態がスである。スはあらゆる縦の次元界の始まりであり、横の力徳の広がりの主となる神である。それで、色々な神々のご神名とは、全てスの神の働きの一部や局面を物語るものであると考えてよい。

カミとは、火(か)と水(み)であり、陽(か)と陰(み)であり、男(か)と女(み)であり、日(か)と月(み)であり、縦(か)と横(み)なのである。即ち、森羅万象、顕、幽、神三界の働きを総称していうのである。だから、ご神霊というのはカミの働きの一部分であり、仏様もカミの一部分なのだ。そして、ご神名こそが、そのカミの働きを物語るすべてであり、ご神名の言霊こそが霊妙不可思議なるその神の働きを表すすべてなのである。

もう少し具体的に言ってみると、ス神が地球を主宰している時のご神名が国常立之大神であり、地球の御魂の働きを総称して言うときが、素盞嗚大神(すさのおのおおかみ)と申し上げるのだ。太陽の場合は、主宰神のときが天照大霊女貴之大神(あまてらすおおひるめむちのおおかみ)であり、太陽の御魂の働きを総称して言う時が、天照大御神である。そして、銀河系宇宙の働きを総称するという次元になれば、菊理姫之大神(きくりひめのおおかみ)と申しあげる。

この銀河系を創造された祖神が太陽を通じてお働きになる状態を天照皇大御神と申し上げて、「皇」の一字が入るのだ。「皇」とは「スベル」であり、「スメラ」である。また「皇神(すめかみ)」であって、宇宙を「統(す)べる」という意味が含まれている。

このように、月も水星も、金星や、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星をはじめ、全ての星雲、星座には主宰神と総称のご神名があり、それを霊的に体得し、知悉できてはじめて、星や星座の神霊界を自由自在に行き来でき、その宇宙パワーにおける秘法も自在にやれるようになるのである。

むろん、ご神名だけではまったくだめであるが。さらに、その神霊界に行き、そのご神名の時に現れる神姿にお目にかかっていなければ神人一体となった神通力はふるえない。さらに、神霊の発する妙の言霊が自由自在に使えて、投げて、受けて、また、ご神霊に投げ返すということが出来なければ、天津神や正神界の全ての龍神、天狗、宇宙波動の使い分けはできない。私の三百種類を超す秘法は、すべてこれらの組み合わせによってはじめて可能となる。

※本文にある「ス神(すしん)」の「ス」は、「○」の中心に「・」を入れた表記が正しいものだが、便宜的に「ス神」とした。





ご来訪いただきありがとうございます。
ブログのランキングボタンをクリックしていただくと嬉しいです。
     ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ ワールドメイトへ
ワールドメイトへ

by 2nike | 2016-02-18 17:51 | 神社で奇跡の開運

伊勢神宮への理想的なお参りの仕方

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


伊勢神宮の奇跡の開運の秘訣と霊的解釈は、
「現実界の一切について情感を振り絞って祈る」

伊勢にお参りする最も重要な意義とは、
「日本という国体の主幹たる、皇室の奥之院に参らせていただく」
「太陽神界からのパイプが直降している、崇高なる神域に足を踏み入れる」
ということ。
以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

ふつう伊勢にお参りをするときは、外宮(げくう)・内宮(ないくう)の順序で参拝するという慣わしになっている。外宮と内宮との距離はちょっと離れているが、どちらかだけのお参りをする人はあまりいない。しかし、多くの人は外宮も内宮も同じ気持ちで拝み、同じように願い事をかける。実は、これでは決して理想の参拝であるとはいえない。外宮と内宮の霊的意味をふまえた参拝であるとはいえないからである。

外宮とは、本来内宮に鎮まる天照大御神の御饌御食津(みけみけつ)物を調える神として、丹波の国から、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)の要請によって招かれた神様である。

ところで御饌御食津とは何か。神様の衣・食・住全般のことをいうのである。だから、このことを考えてみるならば、外宮の神様のご性格が浮き彫りにされてくるだろう。そう、この現実界で生活をするために必要なものを、一切調えてくださる神様なのである。

そうなると、この神様にはどのような祈り方をするのが正しいか、また、どのようなお祈りならかなえてくださるかが、自ずからおわかりになると思う。

現実界に密着した祈り、自分の生活面での祈り、家事、人事、仕事などに関すること一切をご祈念申し上げればよいのである。

実は、この外宮に坐す豊受大御神様とは男神であり、地球神界の主宰神である国常立之尊の幸魂(さきみたま)と和魂(にぎみたま)との合体せる神魂のことを申し上げる。

これも、他の文献に出ている訳ではない。「天御中主なり」とする文献や、「国常立之尊」とする文献もなくはないが、そんなに詳しいものではない。すべては伝家の宝刀「直接神霊にお伺いする」ことで判明したことである。

内宮も外宮も含めて、伊勢神宮にお参りするときの最も大切な心構えとなるものだが、伊勢にお参りする最も重要な意義とは、「日本という国体の主幹たる、皇室の奥之院に参らせていただく」ということであり、「太陽神界からのパイプが直降している、崇高なる神域に足を踏み入れる」ということなのである。

そう思ってお参りすると、そういう霊的作用が働くということを忘れてはならない。前者の意義を知って参拝すれば、「皇神(すめかみ)」(宇宙を統べる主神)が動き、後者を知って参拝すれば、太陽神界の神々がすべて動かれるのである。むろん、両方思って参拝するのが最高である。

ところで、伊勢神宮の神域は、広大であり、五十鈴川にかかる宇治橋から視界に入るすべての景色、すべての樹木は、これすべて伊勢神宮の所有するもの。お米も塩も布も、伊勢神宮からすべてとれる。一部を除き、ほとんど、一切自給自足でまかなっているのである。

この神領、この神域こそが大切なのであり、太陽神界にある中枢神府を霊的に移写せるものなのである。内宮とは、いわばその中の中枢であり、大つぶの玉砂利の敷きつめてある御垣内とは、そのもっとも中心となる至聖至高の神域なのだ。

このことがわかれば、前述の如く、このことがわかったようなお参りのやり方をしなければならない。そうすれば、単にお参りして拝んだときと比べると、十倍以上も神霊感応力が違う。もちろん、お陰の出方も強く、大きく、鋭くなる。

では、どういうお参りのやり方が理想的なのだろうか。
一言でいえば、「感性を豊かに鋭敏にした真心のお参り」がいいのである。




ご来訪いただきありがとうございます。
ブログのランキングボタンをクリックしていただくと嬉しいです。
     ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ ワールドメイトへ
ワールドメイトへ

by 2nike | 2016-02-16 21:44 | 神社で奇跡の開運

誠の五段活用が神様を動かす誠のノウハウ

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


「わざわざ、早速、何度も、菓子折り持参で、丁寧に礼儀正しく」
これが誠の五段活用であり、神社の神様を動かす誠のノウハウとなる。
これは基本原則であり、応用法則は無限にあるとのことだ。
以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

ここで、私が常に勧めている「正式参拝」のことをお話ししたい。
「正式参拝」とは、「心願成就」とか「事業繁栄」といったようなお願いごとがある時、ご祈祷所に行き、三千円か五千円、あるいはそれ以上の金額をお玉串として差し出し、神主に祝詞をあげいただき、神社によってはお神楽なども上げていただいてお参りすることである。

逆に、「正式参拝」に対して「チャリンコ参り」といわれているものがある。お賽銭箱に五十円玉や百円玉をチャリーンと入れて、「パン、パン!」と手を合わせるかわいいものだ。

「親切は人のためならず」という諺は、「親切をすれば、それはやがて必ず自分に返ってくる」ということである。これは『論語』の「徳は孤ならず、必ず隣あり」から発展した諺であろう。自分のしたいい事は必ず自分に返ってくるのであれば、思いきっていいことをした方がいい。そうすることによって、自らの成長にもつながるのだ。

少なくとも神社の神様に対しては、チャリンコ参りよりも正式参拝の方が数十倍もいいことなのである。しかも、一般的な親切よりも、何倍も早く、確実に自分に返ってくる。

なぜ、「正式参拝」が大きく返ってくるのか。これは、改まって威儀を正した参拝であるからだ。一般社会でも同じだが、「改まる」ということは、必要不可欠な生活の礼儀であり、知恵でもある。会社の社長に仲人を頼みたい時、いくら親しい仲だとしても、それだけの労をかけるのだから、電話一本で済ますわけにはいかないであろう。

「親しき仲にも礼儀あり」とは良くいったもので、頼みごとがある時は、それなりの正装をして、菓子折を手にお宅まで伺うことで、相手に誠意が通じて快く思ってもらうことができる。さらにいえば、人間関係の道筋を通すことにもつながるのだ。

こちらが改まって頼めば、相手も改まって応えてくれる。このことが世の中の常であるように、神様との交流においても、まったく同じことがいえるのである。以上のことから、「正式参拝」は、改まった頼みごとの時に行くものであることが、おわかりいただけたであろう。

もちろん、何事もなければ「正式参拝」の必要がないのかと言えば、決してそうではない。むしろ、何もない時にこそ、「正式参拝」をぜひとも実行していただきたい。普段から感謝の気持ちを丁寧に表しておくと、いざという時に、絶大なるお力を授けてくださるからだ。

頼みごとがある時だけ行くのと、常日頃から挨拶をしておくのとでは、神々のその人に対する評価が全然違う。みなさんも人間関係の経験上、その事はよくおわかりになるだろう。

私は、私の主宰するワールドメイトの会員に、少なくとも旧官幣大社や中社、または一之宮の近くで仕事があったり、旅に出かけることがあったなら、まず身なりをただして「正式参拝」するように勧めている。そうすると、神様が先に立って仕事や有意義な旅行を導いてくださるし、元気はつらつとした神徳と運気の貯えができるのである。ちょっとした心掛けと習慣なのであるが、これが神社で開運する大きな秘訣の一つになっているのである。

以上をふまえた上で、誠の五段活用を考えてみたい。

私が数十年間神社の神様に熱烈に親しみ、よく誠が通った時と、あまり誠が通らなかった時を、体験上から冷静に分析して比較してみた。そして、神様がよく誠として受け取ってくださり、強く神様が反応して、すばらしい功徳を与えてくださった順に事柄を並べてみると、次のようになる。

「わざわざ、早速、何度も、菓子折り持参で、丁寧に礼儀正しく」

これが、誠の五段活用である。この五段活用をもう少しわかりやすい言葉に換えてみよう。

一(イチ)いつも心にとめ、
二(ニ) にわかに、
三(サン)再三、
四(シ) 失礼にならぬよう、
五(ゴ) 御丁寧にと言われるように、




ご来訪いただきありがとうございます。
ブログのランキングボタンをクリックしていただくと嬉しいです。
     ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ ワールドメイトへ
ワールドメイトへ

by 2nike | 2016-02-14 20:46 | 神社で奇跡の開運

信仰心、愛念、秩序、調和、平和の心について

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


愛念のところで、愛念といい霊界に行くための心の三条件について触れているが、説明は省かれている。この点については、以前のエントリーが参考になるのではないだろうか。
ワールドメイトの先祖供養のお取り次ぎが終了した。極楽浄土に行くための心のポイントとは。

以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

【信仰心】

たとえば、美術家にとっての景色の美、形の美、音楽家にとっての音の美も立派な神様なのだ。宇宙創造神の美の側面をとらえているからだ。

神様が持っている真、善、美の一部を、その人が憧れ敬い、生涯かけてそれを会得し表現しようとすれば、それはもう立派な信仰心である。

科学者にとっては、宇宙と自然の真こが信仰である。

では、宗教とは何なのかというと、善の道を追求することである。

どんなに有難いお経や呪文であっても、ただ唱えればいいというものではなく、その人が真の道を尋ね、善の道を極め貫かんとしている前提があって、はじめて経や呪文に妙力が現れることを知らねばならない。逆にいえば、どんな宗教を信じていても、貫き通す精神のない人は、宗教はあっても本当の信仰心はないことになる。信仰心とは、このように広く大きく神というものをとらえて仰ぎ、信じて貫き通す精神のことをいうのである。


【愛念】

キリストは、神は愛なりと言ったが、愛というのは抽象的で意味が大きすぎ、実際にはなかなか掌握できるものではない。そこで、イエスはまず隣人への愛から為せ、と説いたのである。神に通じ、神そのものである愛は、私達一人ひとりの中にその芽がねむっている。

それが愛念という念であり、情感なのである。

隣人への愛というのは、別な意味で表すならば、自らに内在する普遍の愛、そして神なる存在を、愛念を、隣人に対して向けて日々に出す練習をすることによって、一人ひとりが見いだすことができるということだ。

愛念とは、普遍の愛に進むための入り口なのである。


【秩序、調和】

神霊界とは、きちんと秩序だっているものである。春、夏、秋、冬と必ず秩序だってめぐってきて、天地自然の生成化育と自然淘汰の歴史を繰り返している如くである。

いいことをすればいい結果が生まれ、悪いことをすれば悪い結果がでるという秩序がある。この善因善果、悪因悪果の法則こそが、私達の運不運にかかわる一番大きな大秩序だといえよう。

そして、秩序が極まったものが調和である。また、秩序が縦、調和が横ということもできるし、秩序が中と律と法、調和が和と融合とバランスと考えてもよい。秩序も調和があってこそはじめて生きるのである。

調和があれば音楽でも絵でも人間関係でも、相乗効果が出てよりすばらしいものになる。科学と宗教の調和、神霊界と現実界の調和、東洋と西洋の調和、老人と子供の調和というように、調和があってこそ、別々の物事が一つにまとまって、互いを生かし合うことができるのだ。陰と陽の結びと解してもいいだろう。


【平和の心】

信仰心があり、愛念を持ち、秩序があり、調和がとれていても、戦争が起こる可能性がある。戦前の日本がそうだった。日本国民は天皇と神社を崇敬し、天照大御神と産土神をお祀りして、ビシッと秩序だって心を一つにしていたが、これがそのまま戦争へと走ってしまったのである。一つの国の中では、信仰心、愛念、秩序、調和があったとしても、国民と為政者に平和の心がなかったら、一致団結して戦争を起こすことにもなりかねない。

無論、戦争は相手があるからするのであって、火の粉が降りかかってきたら、払わざるを得なくなる。だから、世界の国々の為政者と国民が、平和の心を前に立てて、初めて戦争のない社会が実現されるのである。

戦争によって、通信技術、交通技術は非常に進歩発展した。文明、文化の進歩という点でとらえれば、戦争が善の一面を持っていたことは否定できない。しかし、殺戮は神様の御心に反する。

戦争を好む神様など、いる訳はないのである。

神は、世の進歩発展と、未来の理想社会建設のために、人々が本当の改心と反省をしてくれるその日まで、ただただ涙をのんで忍んでおられるのである。

一切は大愛なるが故である。

だから、人類の努力と叡智によって世界連邦政府が樹立され、地上からまったく戦争というもの種が根絶される日を、神様が一日千秋の思いで待たれていると考えればよい。その時こそが、平和の心の道が恒久に確立される時なのである。




ご来訪いただきありがとうございます。
ブログのランキングボタンをクリックしていただくと嬉しいです。
     ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ ワールドメイトへ
ワールドメイトへ

by 2nike | 2016-02-12 17:24 | 神社で奇跡の開運

神人合一の道を目指す五大項目

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


本書で触れている「絶対神と顕現神」については、「大天運」についての次のエントリーが参考になるのではないだろうか。

絶対神と顕現神。神は人間にわかりやすくするために、無限極から有限の姿となってお出ましになる。

最終的には、自在性を備え、オールラウンドな働きをされる聖観音と合一することを最大の理想とすべきである

以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

拙著「大天運」(たちばな出版刊)をお読みの方はご存じの通り、一口に神様といっても絶対神と顕現神がある。絶対神とは宇宙創造の主神のことであり、無限絶対無始無終、色なく形なく全知全能である唯一神のことだ。これは人智をまったく超えている。有限なる人間の知覚には、とうてい理解することも到達することもできない絶対的な存在次元にある神様のことだ。

顕現神とはそのわずか一部を司る神であり、個別の働きや個性を有して、人間の知覚できる姿や形をもって表される神様のことだ。またこれは、無限極から有限極に仮の姿で現れた時の、主神の化身であるともいえるだろう。そして、私たちが通常、神社で祈願しているのは顕現神のほうだ。以前に神界はいくつもあり、神様はたくさんいらっしゃると書いたが、それは、すべて顕現神のことを指していると思っていただきたい。

神と人とが一体になる。これも二つの次元があって、つまり働き自在なる神人合一のことを言う場合の神様とは、顕現神のことを言うのである。ところが、永遠に向かって精進し、絶対者に対して謙虚に己を見つめる時、すなわち、造物主や天という存在に対して、静かなる内的交流を行って、神と人とが一体化している時には、祈りの真なかにおける絶対神との神人合一の状態だといえる。絶対者に対する絶対帰依の状態だといっていい。

これは太極次元への祈願、前者は、陰・陽次元への祈願といっていいかもしれない。中心と派生、本質と変化質、基本と応用、本(もと)と末、中と和、静と動、この両用があって、初めて正しい本当の祈願が達成できるのである。それは、絶対神に対して祈願しているのである。

だから、祈願というのは、単に神社にお参りするといった教義のものではない。祈願の究極には、両用を得た神人合一の道があり、神人合一して無限の神徳を社会と人々に発揮することにより、自分自身のこの世の使命を最高度に全うするということが、奥に含まれているのである。それが、人間が生まれ変わりして魂を磨き、この世に生を送る究極の目的なのである。

では、神人合一の道を目指す、レベルの高い祈願をするためにはどういう基準が必要か。私の師である植松愛子先生が明らかにした五大項目がある。
①信仰心
②愛念
③秩序
④調和
⑤平和の心
の五項目である。

この五項目を実践すれば”弥勒(みろく)の世”という理想的な社会がくると、植松先生にご神旨が下っている。逆に言えば、未来のユートピア、理想社会、弥勒の世では、この五大項目がおのずから行われているということである。一見したところあたり前で簡単そうな五項目だが、意味は実に深い。




ご来訪いただきありがとうございます。
ブログのランキングボタンをクリックしていただくと嬉しいです。
     ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ ワールドメイトへ
ワールドメイトへ

by 2nike | 2016-02-10 17:22 | 神社で奇跡の開運

孔子は、教養というものを、「詩に興(おこ)り、礼に立ちて、楽(がく)に成る」と表現した。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


「詩に興り、礼に立ちて、楽に成る」について、深見東州氏の解説を整理しておく。
●他人の書いた詩を理解するということは、自分以外の人の持つ、高貴で豊かな情感を解することができるということだ。それで、これを理解することが教養の始まりとなる。

●人間の誕生を喜ぶ喜び方にも、美しい喜び方があり、結婚を祝う祝い方にも、人間の死を悲しむ悲しみ方にも、それぞれの美しいあり方というものがある。これができて、初めて人としての教養が立つのである。これが「礼に立ちて」という意味である。

●人々という楽器の奏でる個性を尊重しながら、しかも見事な調和がとれていて、社会という一つの音楽を奏でることができるのだ。これができない人は、教養があるとはいえないのである。

以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

どこの神社でもだいたいだが、鳥居があって石畳の参道があり、玉砂利の庭の境内がある。そして、植え込みや木々が繁っていて、お社は木造の清々しい造りとなっている。

また、お神楽があり、灯明があったりして、私たちがおごそかで改まった気分となり、真心を込めて祈りやすいような雰囲気作りをしている。このように神社というのは、私たちがご神霊に対して祈りやすいよう、一体感を持ちやすいようにうまく設計されているのだ。

だから、単なる形式にすぎないではないかと、バカにしてはいけない。結婚式でも式次第があって、仲人が、「新郎は優秀な成績で、新婦は才媛で・・・・・・」と決まりきったあいさつをするが、それが、一生に一度しかない結婚式なのだという改まった気分にしてくれるものだ。

お葬式でも、荘厳なお経が流れて香がたち込め、喪主が涙ながらにあいさつし、霊柩車が焼場に去って行く時、私たちは、「ほんとうに今生の別れなのだなあ」としみじみと思うのである。

こうした形式、セレモニーというのは、その気持ちになるためには欠かせないものだ。

それを孔子は、「詩に興(おこ)り、礼に立ちて、楽(がく)に成る」と表現した。教養というものを、こうして定義したのである。詩とはポエムのこと。人間の高貴な心や感情があふれると、それはポエムになる。思わず詩に書いてみたくなる人間の感情の美しきもの、良きもの、すばらしきものであるはずだ。だから、他人の書いた詩を理解するということは、自分以外の人の持つ、高貴で豊かな情感を解することができるということだ。それで、これを理解することが教養の始まりとなる訳である。

ところで、人間の営みの中で飲むたった一杯のお茶にも、それなりの美しい飲み方がある。

人間の誕生を喜ぶ喜び方にも、また美しい喜び方があり、結婚を祝う祝い方にも、人間の死を悲しむ悲しみ方にも、それぞれの美しいあり方というものがあるのである。

それこそが礼の本来の意味であり、これができて、初めて人としての教養が立つのである。これが「礼に立ちて」という意味である。

そして、最終的には楽で締めくくる。楽とは音楽あり楽しさである。音楽とは打楽器、弦楽器などといろいろな楽器の組み合わせによって、一つの音楽を作り上げるものである。つまり調和の美なのだ。これが「楽に成る」という意味であり、人々という楽器の奏でる個性を尊重しながら、しかも見事な調和がとれていて、社会という一つの音楽を奏でることができるのだ。これができない人は、教養があるとはいえないのである。

神社の祈願も、これとまったく同じだと思えばいい。清々しい祈りを安らかな気分、そして真心あふれる情感(詩に興り)、古式にのっとった参拝(礼に立ちて)、神楽や祝詞に心を合わせて神と調和する(楽に成る)のが正しいお参りといえる。これらの三つの要素を大切に、しかも真剣にするお参りこそが、真に心の教養ある人のお参り作法なのである。




ご来訪いただきありがとうございます。
ブログのランキングボタンをクリックしていただくと嬉しいです。
     ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ ワールドメイトへ
ワールドメイトへ

by 2nike | 2016-02-08 16:22 | 神社で奇跡の開運

願いがかなう祈願の仕方にはいくつかのポイントがある。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


本書には、参拝の頻度について、深見東州氏の体験から割り出した適性頻度が書かれているので整理しておく。
●最寄りの産土神社には、なるべく多めに。しかし現実的には月一回参りか、二回参れば良い方であろう。できるかぎり一日か十五日を選び、せっぱつまった時には、迷わずさっと行って熱誠祈願をする。

●次は一之宮。本来なら月に一度はお参りしたいもの。できれば最低年に一度は行っておきたい。

●お伊勢さま。年に一度が望ましいところだが、最低三年に一度は行っていただきたい。ところで、お伊勢参りは昔から、正五九(しょうごく)といって、一月か、五月か、九月は、伊勢の神様がその気になって待っておられる月なので、この月に行くと良いといわれている。

以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

願いがかなう祈願の仕方にはいくつかのポイントがある。
それは、誠を示すためのポイントであるといっていい。
神社の神様に願いを聞いていただこうと思ったら、商売を成功させる時の「誠意であたる」のと同じようなことを行えばよい。それには、いくつかのポイントがある。

一つは、担当窓口としょっちゅう会ってコミュニケーションを深めておくこと。さらには、直接社長に会って顔見知りになっておく。もう鬼に金棒である。

また上司にあたる課長や部長に口添えしてもらうと、担当の窓口はさらに一生懸命になって取引を円滑に進めてくれる。むろん、あまり頭ごしに上司に会うと、窓口の担当者も決して気分の良いものではない。人によっては、いじわるをして取引の邪魔をすることもある。

だから、あくまで基本は窓口の担当者を大切にすることだ。こうして、その上司にあたる決定権のある人にもパイプを太くしておくと、社内稟議を要することがあっても、すぐにOKの印鑑がもらえる。

また、こんな時に、社長からひと言あれば、課長や部長も一生懸命になり、担当者はさらに必死になってくれるので、取引は一層スムーズに運ぶだろう。

神社に大祈願するのも同じことだ。窓口の担当にあたるのがあなたの近所、または生まれた土地にある産土神社。課長や部長に相当するのが全国七十余カ所にある一之宮であり、社長にあたるのが伊勢神宮ということになる。

社長とだけ顔見知りでも、現場レベルでのコミュニケーションがなければ、取引はうまくいかないし、現場レベルだけ大事にしても、社長や部長、事業部長などのお墨付きがなければ、時間がかかって素早く願い通りに事が運ぶとは言えない。両者を並行して進めることが大切なのだ。

これが、会社から仕事をいただくときの営業マンの心得之帖のポイントだ。

だから、これと同じように、全国の神社の総元締めだからといって、伊勢神宮だけにお参りをしてもダメである。最寄りの産土神社によくお参りし、ちょっとした日常の大事に関しても、それを、細々とご相談して報告されるとよい。事柄の大きさにより、一之宮にも大祈願するとよいだろう。月一回とか半年に一回、最低でも、年に一回はお参りしておくことだ。

もちろん、人生の進路を決定すような時こそ、伊勢神宮に大祈願することだ。

次に頻度であるが、前述の担当窓口の例でもわかるように、最も足繁く行くのは最寄りの産土神であり、次に一之宮となり、その次が伊勢神宮となる。

ちなみに、毎月一日と十五日は、神様のほうがその気でお待ちになっている時だから、同じ行くのならば、この日を選んで行った方が得だ。私も何度となく実験したが、普段行く日に比べると、一・三倍ぐらい増量されたご神徳がいただけるようだ。

ところで頻度の話に戻るが、最寄りの産土神社には、毎日出勤前か帰宅の途中で参拝することを日課にしている人がいる。この毎日というのが理想だが、現実にはそうもいくまい。やはり、一日か十五日の、月一回参りか、二回参れば良い方であろう。むろん、一日や十五日にこだわることはない。むしろ切なる思いが募った時、情熱をかたむけて行った方がご神霊は強く反応なされる。

なるべく多めに、できるかぎり一日か十五日を選び、せっぱつまった時には、迷わずさっと行って熱誠祈願をする。こう考えたらいいだろう。

そして次は一之宮。本来なら月に一度はお参りしたいもの。しかし、事情が許さないなら、三か月に一度か五か月に一度だっていい。だが、できれば最低年に一度は行っておくべきだ。神社の神様は本来強制を嫌うので、自分で決めて行うしかない。この数値は、私の体験から割り出した適性頻度である。読者のご参考にしていただきたい。

そしてお伊勢さまだが、これも同様にお考えいただきたいが、一之宮よりは少し頻度が少なくてもよい。年に一度が望ましいところだが、最低三年に一度は行っていただきたい。ところで、お伊勢参りは昔から、正五九(しょうごく)といって、一月か、五月か、九月に行くと良いといわれている。

本当にそうかと思って実験したが、やはり通説は正しかった。伊勢の神様がその気になって待っておられる月であった。それは間違いない。




ご来訪いただきありがとうございます。
ブログのランキングボタンをクリックしていただくと嬉しいです。
     ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ ワールドメイトへ
ワールドメイトへ

by 2nike | 2016-02-07 22:33 | 神社で奇跡の開運

人生の重要な節目「出産、入学、就職、結婚、死亡」の五つに関して、特に産土神がお働きになる。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


ワールドメイトに入会したばかりの頃、出産に関してはどこの神社でご祈祷すればいいか聞いたことがある。支部の人が産土神社がいいですよ、と教えてくれて、その後なんとなく支部に通うようになったことを思い出す。
「出産、入学、就職、結婚、死亡」は、ほんとうに人生の重要な節目であるが、それは当人にとってだけではなく、家族や親類にも影響を与え、家系というものにつながっていく。まさに産土神の大きく働かれるところなのだろう。
以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

今度は、私達の日常生活の中で産土神社をいかに活用するかを語ってみよう。生後間もない自分を両親がお宮参りに連れて行った神社が、その人の生来の産土神社となるのである。

ここで、「生来の」といったのには理由がある。そもそも産土神社というのは全国規模のテリトリー制になっている。ジャノメミシンやトヨタの販売網とそっくりなのだ。それで、神だのみや祈願のノウハウからいえば、生来の産土神社には、本当に困ってどうにもならなくなった時に行き、いま住んでいる地域の産土神社には、平素の願い事を何でも率直にお祈りするために行けばいい。

たとえば、関東エリアの総代理店が氷川神社であり、関東における本店直轄の強力キャンペーン部隊の本部が、関東総鎮守の箱根神社だ。

関西ではどうか。関西総代理店は住吉大社であり、本社直轄の資金繰り対策課、及びいざこざ取締本部にあたるのが三輪大社となっている。

ちなみに、関東における新規事業開発本部にあたるのが、長野県一之宮の諏訪大社だ。このように、県別、地域別のテリトリーの分布に合わせて、神霊界のエージェント制が敷かれているのである。そして、それぞれのエージェントが日本国という単位でとらえたとき、それぞれの固有の役割と特色のある働きをもって、日本国家の守護と繁栄をになう伊勢神宮のお役割を分掌しておられるのである。ここが、現界の販売網やエージェントと異なる所だ。

このように、産土神社は全国規模のテリトリー制になっているのだが、一体、何を為すためにテリトリーを守っているのだろうか。

結論からいえば、「私達の生活に直接関与して、福徳をさずけ、天命に合った人生を送るべく、人々を導くため」であり、「政治、経済、学問、宗教、芸術、科学など、社会の発展に寄与するべく、あらゆる分野にわたる天才を主の神の命によって世に送り出し、そういう奇魂を立派に育てた上、その人を通して、よりよき理想の社会を築くため」である。
また、「主の神、及び宇宙神、すなわち天津神(あまつかみ)から来た神徳や神旨を、現実界に適用させるために一旦太陽神界にて過不足なきようチェックされる。それを、この現実界という次元界に顕現させるため」なのである。さらにもう一つつけ加えておくならば、「日本という国の霊威と国運を昂揚させるため」にいらっしゃるのである。

ところで、最初に「私達」の生活に直接関与して、福徳を授け、天命に合った人生を送るべく人々を導くと申し上げたが、もっとより具体的にいえば、私たちの人生の重要な節目に当たる「出産、入学、就職、結婚、死亡」の五つに関して、特に産土神がお働きになるのである。

その事柄に関する専門の神様もいらっしゃるが、産土神とは直接的にそれらのために働いてくださる神界の窓口であり、デパートの外商の担当係のような神様だ。その神様に頼めば、神界デパートから何でも揃えてくださる。また、流通の形態から申し上げれば、いわば、コンビニエンスストアのような存在だ。二十四時間営業していて、生活に必要なものは、だいたいすぐそこで揃う。ところが、そこが品揃えの悪いつぶれそうなコンビニエンスストアであったり、もっと高級な品物が欲しかったりで、特別な一品を特に欲するような時は、私達は専門店に行く。ちょうどそんな感じで、その事柄の専門の神様にお参りをすればいいだろう。

産土神とは、人間の御魂を神霊界から運んでくるこうのとりの役をなさる。そしてその人の一生涯の運命を知っていて、守護神や守護霊にご指示をなさるお役がある。

私達を守る守護霊の上には守護神様がいらっしゃるが、この守護神様とは、産土神の仲介によって定まることになっている。

産土神のお働きとは、このように神秘霊妙で、一般の人々の与り知らないことがほとんどである。また、霊力に関して申し上げれば、その土地の風土を培っている霊的エネルギーの代表であることから、風を起こす龍神、雨を降らす龍神をはじめ、植物や動物、特に湧き水などを育み守る白蛇、そして、稲荷や天狗などのご眷属を多数従えていらっしゃる場合が多く、それによって強い霊的なパワーを発揮されるのである。

そもそもご神霊の霊力とは、主神の神権を授かって働かれる時以外は、大体ご眷属の種類と絶対量によって決まる。

そして、このような自然風土を司る、ご眷属を従えている産土神は、「体を健康にする霊力」、「現実界の行き塞がりを打開する霊力」、「家庭内の問題を解消する霊力」などに関しては、絶大なものがある。





ご来訪いただきありがとうございます。
ブログのランキングボタンをクリックしていただくと嬉しいです。
     ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ ワールドメイトへ
ワールドメイトへ

by 2nike | 2016-02-05 20:41 | 神社で奇跡の開運