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第4回東京国際コンサートの記事が東京スポーツに掲載された

東京スポーツは具体的な描写が多いので、読んでいてその時の情景が蘇ってくる。
深見東州氏とエステ氏のオープニングの場面は、
”オーケストラの待つステージにまず姿を現わしたのは深見とエステ。(略)そんな豪華な顔合わせによるオープニングは、歌劇「ドン・ジョバンニ」から「お手をどうぞ」。実際に手を取り合って歌う2人の姿は、まさに”オペラ”そのものだった。”

また、ドミンゴ氏の描写は、歌に込めた情感や会場の雰囲気が伝わってくる。
”歌劇「アンドレア・シェニエ」から「国を裏切るもの」でフランス革命下の男女が繰り広げる悲恋を表現した。”
”ラストソングのステージに上がったのはドミンゴ。別れをテーマにした「愛する人よ、我が命よ」を歌う姿は、まるで実際に観客との別れを惜しむようだった。”

みだし

4年ぶり来日 3大テノール ドミンゴ
深見らと熱唱 世界基準オペラ
2人の美貌ソプラノ歌姫も美声披露
東京国際フォーラムをクラッシックの聖地に変えた
5000人大観衆を魅了 あまりの美しさに涙する者も続出!


リード

世界最高峰のオペラが、東京をクラッシックの聖地に変えた。先日、東京国際フォーラムで行われた「第4回東京国際コンサート」に3大テノールの一人であるプラシド・ドミンゴが出演。日本屈指のバリトン深見東州やソプラノ歌手のヴァージニア・トーラ、ミカエラ・エステとともに、4年ぶりにその歌声を披露した。



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by 2nike | 2015-08-31 17:25 | 東京国際コンサート

面倒くさいという心を克服した後、次に気をつけるのは「狎れ」

何ごとも、過去を学び、先の展開が読めるほどに熟達したいものだが、なかなかおいそれとはいかないものである。ところが、その道の達人に先達をしてもらうことができれば、これほど安心なことはない。深見東州氏はまさにそのような存在であり、面倒くさいという心を克服した後、次に気をつけるのは「狎れ」だと注意喚起してくださる。
深見東州氏の著作「神仏のことがわかる本」より。


面倒くさいという心を克服すると、その分、神仏との距離も縮まる。それまで遠くにしか感じられなかった神仏の息吹が、身近に感じられるようになる。もちろん功徳も授けられる。

だが、これで安心してはいけない。面倒くさいという心を克服することを、何度か体験すると、すぐまた第二のバリアーに前をふさがれることが多いのだ。そのバリアーとは何かというと、気の緩み。これは信仰を持つ者にとって大きな問題で、私の師匠・植松先生は気の緩みを「なれ」とおっしゃっている。いわゆる「慣れ」ではなく「狎れ」である。

一度うまくいったという体験を持つと誰しも、人に対しても物事に対しても狎れ狎れしくなりがちなのだが、これは面倒くさいという心の次に神仏の嫌われること。狎れが出てきた途端、せっかく縮まった神仏との距離も、再び遠のくのである。そればかりか、狎れが出てくると油断、侮りが生じてくる。その結果、再び怠りが出てきたら、振り出しに戻りかねない。

そうやって怠りが出てきても、普通は上司に叱られたり同僚に注意されたりと、なんらかの形で頭を叩かれるもの。そこで反省すれば、再び神仏の守護が得られるようになるのだが、ときとして頭を叩かれることなく、そのままスイスイと物事がうまく運んでいくことがある。そうなるとどうしても、増長魔、傲慢、不遜、矜(きょう)といったものが出やすくなる。

神仏は「狎れ、油断、侮り、怠り」そして「増長魔、傲慢、不遜、矜」といったものを戒められるわけだが、前者の「狎れ、油断、侮り、怠り」を陰の戒めとすると、後者の「増長魔、傲慢、不遜、矜」は陽の戒めと言うことができる。

この陰と陽、神仏はどちらをより戒められるかというと、陰の「狎れ」や「油断」「怠り」。中でも最も「怠り」を戒められる。神仏の目から見たら、怠りの罪が最も重いのだ。理由は簡単。油断したり怠ってばかりいたら、何一つ魂に記憶が残らないからである。

増長魔や傲慢というのはちょっと方向性がずれているだけで、基本的には大きな誤りではない。ちょっと傲慢になってきたな、慢心が働いているなと思ったら、傲慢にならないようにと心を調節していけばいいのだ。その調節はどのようにやるのかというと、これはもう謙虚の徳を磨くしかない。






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by 2nike | 2015-08-30 19:39 | 神仏のことがわかる本

面倒くさいという心が神仏を遠ざける

人はなぜ怠けるのだろうか。
仕事、勉強、連絡など、すべきことをしない、おこたる、なまける、さぼる。そういう怠けグセがびっしり身についている人は少なからずいる。そういう怠けグセと神仏の関わりについて、深見東州氏の著作「神仏のことがわかる本」より。

怠ける理由も何もあるものか、怠け者は生まれつき怠け者と決まっているんだ、そんな声が聞こえてきそうだが、怠けグセが生まれつきかどうかは別として、何かにつけてすぐにサボる人には共通の心理がある。それはすなわち、面倒くさいという思い。これが怠けという行動を引き起こすのだ。

営業に出なければいけないんだけれど、雨が降っているから外に出るのが面倒くさい。礼状を書かなければいけないんだけれど、文面を考えるのが面倒くさい。電話をかけて謝らなければいけないんだけれど、面倒くさくて電話一本かける気がしない。この面倒くさいという思いがあるかぎり、どんなに祈っても神仏の加護はまず受けられない。

例えば、あなたの部下に、命令や指示を出すとすぐにふて腐れた顔をする人間、面倒くさそうな態度をとる人間がいたとしよう。その場合、そんな性格の屈折した部下でも出世ができるように、待遇が良くなるようにと、なにくれとなく引き立ててやろうという気持ちになるだろうか。まれには、そういう面倒見のいい上司もいるだろう。だが、そんなに仕事が嫌いならサッサと辞めたらどうなんだ、という気持ちになるのが、人情というものではないだろうか。

神仏もそれとまったく同じなのである。もちろん、怠け者、無精者だからといって、慈悲深い神仏が、蹴落としたり、不幸に陥れたりすることはない。かといって積極的に守護されることもない。一刻も早く本人が自分の欠点に気づいて自ら立ち直ることを願いながら、黙って見守られるだけなのだ。

だから、神仏を身近に感じるようになるには、何はともあれ面倒くさいという心を払拭すること。ここをクリアーしないかぎり、神仏の守護も得られなければ、功徳もいただけない。そう断言していい。






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by 2nike | 2015-08-29 19:56 | 神仏のことがわかる本

第4回東京国際コンサートの記事がスポーツニッポンに掲載

約2ヶ月前に、世界三大テノールの一人ホセ・カレーラス氏共演し、そしてこの日、もう一人の三大テノール、プラシド・ドミンゴ氏と共演した日本屈指のバリトン歌手、深見東州氏。ドミンゴ氏に肩を組まれた写真や、笑顔で握手している写真が印象深い。


みだし
世界芸術文化振興協会、東京芸術財団共催「第4回東京国際コンサート」
ドミンゴ、日本屈指のバリトン歌手 深見東州
カレーラスとの共演から約2ヶ月 
世界三大テノールと
夢の豪華ハーモニー再び!!


リード
世界芸術文化振興協会、東京芸術財団共催「第4回東京国際コンサート」が26日、東京都千代田区の東京国際フォーラム・ホールAで行われた。世界的テノール歌手プラシド・ドミンゴ(74=スペイン)が日本屈指のバリトン歌手・深見東州(64)ら、なかまたちと夢の共演。「世界三大テノール」のひとりであるドミンゴは美声、幅広い音楽性、端正なルックスで5000人の聴衆を魅了した。



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2015/08/28 スポーツニッポン



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by 2nike | 2015-08-28 17:28 | 東京国際コンサート

プラシド・ドミンゴ氏と深見東州氏の親交について、第4回東京国際コンサートのパンフレットに載っていた

昨日の、第4回東京国際コンサートは素晴らしかった!
世界三大テノールの一人プラシド・ドミンゴ氏、深見東州氏、ヴァージニア・トーラ氏、ミカエラ・エステ氏、またドミンゴ氏から信頼の篤いユージン・コーン氏が率いる東京フィルハーモニー交響楽団という、なんとも豪華な布陣でのコンサート。東京国際フォーラムのホールA会場も広くて座り心地のいいイス。ゆったりと堪能することができました。

さて、プラシド・ドミンゴ氏と共演した深見東州氏は、どのように親交を深めていったのか、第4回東京国際コンサートのパンフレットに書かれていたので、以下に抜粋する。

じつは、私の声楽の師であり、世界五大バリトンの一人だった、グレゴリー・ユーリシッチは、プラシド・ドミンゴの親友で、何度もオペラで共演したのです。ドミンゴが「オテロ」を歌うときの、最も優れた「イヤーゴ」でした。そして、「私の最も好きなバリトン」と言って、ドミンゴは讃えました。だから、私はグレッグから、プラシド・ドミンゴがいかに素晴らしいか、いつも聞いていたのです。

その縁で、グレッグと私が、西オーストラリア州の州都パースに、若手オペラ歌手を育成する、「オーストラリアン・オペラ・スタジオ(AOS)」を設立した時、プラシド・ドミンゴが、そのPatronに就任して下さいました。この事にも、大変感謝しています。そして、そのプラシド・ドミンゴが、今宵共に歌って下さる事に、心から感謝を捧げます。





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by 2nike | 2015-08-27 18:43 | 東京国際コンサート

神人合一の道

神人合一の道とは何ぞや?
深見東州氏の著作「神仏のことがわかる本」より。

神人合一というと、瞑想をしたり、滝に打たれたりして、霊能力を開いていくというイメージを持たれるかもしれないが、ワールドメイトではこのような修業を一切行っていない。あくまでも生活に根ざした修業を基本に据えているということをおことわりしておきたい。

「神人合一は生活に応用できなければ意味がない」というのが、植松先生の教えである。例えば、神人合一している人とはどのような人か。芸術の世界では、ミケランジェロやダ・ヴィンチのような万能の天才。宗教家では聖徳太子や弘法大師。超能力の世界では、モーゼが一番で、出口王仁三郎が二番だと神様はおっしゃっている。

説法ではお釈迦様が抜群で、妙と玄の体得では老子。現実界を踏まえた人の道のお手本では孔子。生き死にを乗り越えた宗教的情熱を持った清らかな生き方としてはマホメットがあげられるだろう。

このように歴史上に名を残している人物は、単に素晴らしかったというレベルではない。人間の能力の限界を越え、神なるものと一体になったからこそ、それぞれの分野であれだけの偉業を成し遂げられたのである。彼らは皆、神人合一の先達である。

しかし、逆に言えばすべて肉体を持つ人間がやったことなのである。ということは、私たちも努力次第で、彼らのレベルに近づくことができるのである。

昔は情報も少なかったし、学問も行き渡っていなかったので、彼らがどのようにして、そうしたレベルに達したのか知ることは難しかった。しかし、今は情報が発達しており、さまざまな分野で学問の蓄積もできている。

誰も登ったことのない山に初めて登るのは難しいが、誰かが登ってルートを開発した後は、比較的簡単に登ることができる。

私たちの大先輩が越えてきた山であるからこそ、二度目三度目の私たちは、その気になりさえすれば越えられないはずはない。しかも簡単明瞭にポイントを押さえて、どのようにすれば大先輩のいいところを全部集めたような神人になれるのかということが出されているのが、ワールドメイトに降ろされた「神人合一の道」なのである。

だから、講義であろうが、神事であろうが、祈祷会であろうが、すべて実在の神を掌握し、その神を行じていくことなのである。





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by 2nike | 2015-08-25 20:11 | 神仏のことがわかる本

戸渡阿見詩集 第4弾「魔女の目玉」の周利槃特(しゅり・はんどく)のことをかいた詩は素敵だ

戸渡阿見詩集 第4弾「魔女の目玉」を4年ぶりに読み返してみた。この本を買った当時は、特に気になったわけでもなかったのだが、周利槃特(しゅり・はんどく)のことをかいた詩に心が惹かれた。
wikiによれば、「周利槃特は釈迦の弟子中、もっとも愚かで頭の悪い人だったと伝えられる。そのため、愚路とも呼ばれた。また十六羅漢の一人。」

「魔女の目玉」の『ある対話』という詩を読んでいくと、最後の部分で、文字も読めず自分の名前もよく覚えられなかった周利槃特と、お釈迦さんとの対話だったというのがわかる。言葉は厳しいが、弟子への愛情が、後からじわじわと伝わってくる素敵な詩。


『ある対話』

頭がいいって
うらやましいな

そうでもないよ
頭がほどほどで
実行力のある方が
実際に役立つからね

でもぼくみたいに
頭が悪いよりは
頭がいいだけで
羨ましいな

そうでもないよ
君のように
頭が悪くて
実行力もない方が
謙虚な場合が
多いからね

でも
頭がよくて
実行力もあり
謙虚な人もいるよ
まるで
仏様みたいに

そうでもないよ
君のように
頭が悪くて
実行力もなく
時々傲慢な方が
生命力があって
長生きする人が多いよ

でも
頭がよくて
実行力があり
謙虚な人で
長生きしている人もいるよ
まるで
宇宙人のように

そうでもないよ
君のように
頭が悪くて
実行力もなく
時々傲慢で
生命力もない方が
かわいいので
皆に
愛されるよ

でも
頭が良くて
実行力があり
謙虚な人で
長生きして
美しい顔して
愛されてる人もいるよ
まるで
神様のように

そうでもないよ
そんな人は
心が貧しくて
君のように
神仏を大切にして
生きないから
あの世で
暗愚な霊となり
実行力もなく
神仏に対して
あくまで不遜だよ
それで
あの世で惑い
醜い姿になって
さ迷ってるよ
まるで
妄者のようにね

そうかなあ・・・・・・

文字も読めず
自分の名前も
よく覚えられなかった
周利槃特は
釈迦の言う通り
毎日
掃除だけを実行した

その中から
見性大悟し
釈迦の弟子の
十六羅漢の一人になった




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by 2nike | 2015-08-24 20:25 | 戸渡阿見詩集

たちばな出版の広告「極めて地味な万能のハサミ人」が朝日新聞に掲載

タイトルは、「極めて地味な万能のハサミ人 どんなジャンルも、ズタズタにする面白さ。」
今日の朝日新聞に掲載されている。

広告を見ると、最新刊は次の2つ。
戸渡阿見詩集、第5弾「雨の中のバラード」
DVD BOOK「オペラ 雛祭りのフィガロの結婚」

このうち、戸渡阿見詩集の一つ前、第4弾「魔女の目玉」は、以前購入したので、読み返してみた。初版が2011年5月11日。たしか、出版されてすぐに買った記憶がある。以下、まえがきより。

詩人は「死人」に聞こえ、俳人は「廃人」に聞こえ、歌人は「佳人」に聞こえます。そう考えると、歌人が一番いいと歌人岡野弘彦氏は言いました。詩人に言わせると、詩人は「思人」であり、俳人は「蠅人」であり、歌人は「蚊人」かもしれません。いずれにしろ、歌人はまじめな人が多く、俳人は洒脱な人が多く、詩人はまじめな人と、変わった人の両方がいます。

短歌や俳句で大切なのは、第一は詩心であり、第二に言葉の意味が五十%、あとの五十%は、言葉の調べです。さらに、有り形のパターンにならない意外性があり、その人にしか詠めない個性と、その人らしい輝きがあることが大切です。そこに、芸術性を見いだすのです。これは、詩でも作詞でも、小説や戯曲でも、本質は同じでしょう。

面白いことに、小説で言葉遊びや駄洒落を嫌う人も居ますが、谷川俊太郎やまどみちおの詩集を見て、それを嫌ったり、批判する人は居ません。また、日本の伝統芸能の落語や狂言は、言葉遊びのオチが多いのです。短歌でも、「掛詞(かけことば)」は、伝統的な気の利く修辞法でした。こうして、洒落は、もともと知性と教養を必要とする、気の利いた表現だったのです。それが、一九六〇年代以降、これに価値を認めない人々から、「駄洒落」と言われるようになったのです。

ですから、この歴史を知れば、谷川俊太郎やまどみちお、シェークスピアなどの詩人のように、言葉遊びや駄洒落の詩があっても、決して悪いはずがありません。自由詩の世界では大歓迎されるのです。詩心とユーモアがあり、人間の本質や魂の局面を、さまざまな角度から表現するものなら、何でもいいのです。さらに、意外性があり、言葉使いに個性があり、調べが美しければ、もっといいのです。それが、自由詩の魅力だと言えます。

孔子が、教養とは「詩に興り、礼に立ちて、楽に成る」と言ったように、詩心は、魂の高貴な部分の表れです。だから、詩心が豊かであれば、芸術作品の創作範囲は、無限に広がるのです。オペラや歌曲やポップスを歌う歌手も、作詞や作曲をする人にも、歌心とは、音で表す詩心であることを、是非知っていただきたい。




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by 2nike | 2015-08-23 22:22 | 戸渡阿見詩集

ワールドメイトでは宇宙創造神を心に置いているために、宗教を超えて、自由自在にいいものを吸収できる。

ワールドメイト会員を永くやっていると、習慣になっていることなので特に考えることもなかったが、「宇宙創造神を心に置く」ということの意義や「神霊界の実体」をあらためて活字で読むと、とても新鮮な気持ちになる。深見東州氏の著作「神仏のことがわかる本」より。

「宇宙創造神を心に置く」


私が言う神とは、キリスト教的な神ではなく、仏教的な仏様の悟りというものでもない。絶対の宇宙のス神。姿なく形なく、始めなく終りなく、無限絶対・無始無終。この神様を心の中心に置いて神人合一の道を学んでいくのである。

絶対神を道の中心に置いているがゆえに、儒教でも、キリスト教でも、仏教でもなんでも勉強できる。非常に便利である。仏教系の団体では、神道やキリスト教を学べるものではない。キリスト教系では神道や仏教を学びにくい。ところが、ワールドメイトではスの神を中心に置いているために、宗教を超えて、自由自在にいいものを吸収できるのだ。



「ス神と神霊界の実体」

それでは、スの大神様と神々の世界はどのような関係で成り立っているのであろうか。無限絶対・無始無終であられる宇宙のス神は、姿、形はない。しかし、働きの次元になってきたら、姿、形、色、光がある。それら、働きの次元の神々が、産土神であり、仏様なのである。

有限なる人間が無限絶対の神様を理解するのは不可能である。そのため神様は人間にわかりやすいように、法則性とか理(ことわり)というものを極めて仏教教理を出し、仏様としての姿で出られるのである。つまり、仏様は神様の一部なのである。仏様ばかりではない、地獄の鬼、あれらすべて、スの神直系の正神界の神々が姿を変えてやっているのである。

神霊界は、親神なるス神を頂点に、一糸乱れぬピラミッド型になっていて、下の神々はみな、スの大神様に対する大御心と天の理に基づく生きざまに徹底しておられる。そのご褒美として、スの大神様から愛をいただく。ゆえに地獄の鬼も感謝し喜びながらやっている。決して恨みの心で地獄囚をいじめているのではなく、少しでも早く改心するよう、まさに心を鬼にして励んでおられるのである。

鬼たちばかりではない。守護霊、守護神、仏様、産土神。皆、スの大神様に対する奉仕の心で、人類のために働いてくださっているのだ。その褒美として、スの大神様の愛の霊流を受けて歓喜をいただく。これが神霊界の実像である。

もう、お気づきだろう。そのとおり。スの大神様に対する姿勢という点からすれば、われわれ人間も神仏と同じ立場なのである。





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by 2nike | 2015-08-22 20:58 | 神仏のことがわかる本

ハンダカップのことがゴルフ雑誌ALBAに掲載

ゴルフ雑誌ALBA 8月13日号に、「ISPSハンダグローバルカップ」の結果や、ISPS、ハンダカップのことが掲載されている。
ハンダカップは、国内外で年間65試合のトーナメントを開催しているそうだ。
各国を代表する2選手によって争われるワールドカップも2013年はISPSが主催している。

【主な開催トーナメント】
ISPSハンダ・ワールドカップ・オブ・ゴルフ
ISPSハンダ・ウェールズ・オープン(欧州ツアー)
ISPS・HANDA・CAP・フィランスロピーシニアトーナメント(国内シニアツアー)
ISPSハンダ・オーストラリアン女子オープン(米国女子ツアー)
ISPSハンダ・PGAシニアチャンピオンシップ(欧州シニアツアー)

ブラインドゴルフから始まったISPSの支援活動は、現在大きな広がりを見せている。それは「ISPS」や「ハンダ」という冠を持った大会の数が物語っている。特に、国内シニアツアーや米国女子ツアーなど、かつて衰退傾向にあったツアーでの開催が多く、ISPSの支援によって持ち直した例も少なくない。今回、「ISPSハンダグローバルカップ」を新規開催した背景にも、試合数減に悩む国内男子のレギュラーツアーを支援する意図があった。





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by 2nike | 2015-08-21 23:00 | 半田晴久