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風土のエネルギーと神界が一体化している - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


「神社で奇跡の開運」の最後の項目は、山が多く細かいひだの日本風土と最奥にある神界が一体となって、内面的神界が奥深い日本人的発想を生み出したという難解な内容である。
何度も読み返しているが、また時々読みたくなる興味深いものだ。
著書をご一読あれ。


以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。
●日本人の魂には奥深い多面的な咀嚼力がある

日本文化の情緒の流れを見ると、万葉時代の「まこと」から始まって、平安時代の「もののあはれ」「をかし」、南北朝、室町期にかけての「幽玄の美」、また安土・桃山時代の「わび・さび」および江戸時代の「いき」などと移り変わってきてはいるが、いずれも簡単に説明できないほどの含蓄がある情緒の格調なのである。日本人の情緒鑑賞力を構成している、歴史的に構築された因子であり、要素であるといえるだろう。

これは、神界の奥ひだが深い広がりをもっているということであり、日本人の魂が、それだけ奥深い多面的な咀嚼要素をもっているということである。

だから、シンプルでわかり易い思考回路しか持たない欧米人からは、複雑怪奇で難解な思考と行動様式を持った民族であると思われるのだ。日本の神界がなぜそうなのかというと、風土の持つエネルギーがそのベースとなって、宇宙のかなたにある、最奥神界のありさまを写し出しているからに他ならない。山が多く、非常に細かいひだになっている日本の風土。その風土のエネルギーが神界と一体となって、日本人的な発想の素因が生まれてきた。

そもそも、意志と想念の世界こそが霊界である。その意志と想念の奥にある情緒のひだが深いということは、それだけ日本人の内面的神界が奥深いということであり、日本国の神霊界の奥が、深く緻密に構成されているということになるのである。



●風土のエネルギーが無形の感化力を与え続ける

神道とは何かと問われたら、私は「主神の経綸によって造られた風土に、主命あって生きているご神霊と、そのエネルギーと心と知恵とを合体させて、共に生成化育進歩発展の和道を天皇と共に歩み、主神の大御心を人間社会の上に実現させんとする日本人の霊的本能の発露である」と、定義した方がわかりやすいと思う。

先天的風土に根ざした神霊エネルギーや、その霊妙さそのものをいうのであるから、理屈を超えているものだ。理屈を超えているからこそ、老荘思想が根ざし、禅宗が根ざし、浄土宗が根ざし、儒教が根ざし、日本の伝統文化と芸術観にこれらの思想が深く浸透したのである。こういう無形の霊的な素地のないところに、特定の外来文化のみが根ざすということはあり得ない。

これらの上に、禅の無相無門の大法と道教の無為自然の清徳霊妙なる味わいが世界一よく溶け込み、なじんでいる文化と風土そのもの、そしてその風土における無形と神意、霊意のエネルギーの発露こそが「惟神の道」にほかならないのである。

では、なぜ日本文化や日本の宗教史の中に根ざしたり、なじんだりするのか。

それは、日本という国の体質に合うからである。体質とは何か。風土と地理的条件、およびそこに奔流として流れ出ている無形の神気、妙気と、神霊界の意志と波動に育まれた日本人の霊性なのである。

ところで、最奥神界の意志と波動は神霊磁場を形成して、それが日本神霊界というものを醸造するのであるが、それは神霊域プラス神々と仏と人々の霊体の大活躍の舞台を形成していると思ってよい。これらが総合して、私達に無形の感化力を与え続けているのである。






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by 2nike | 2016-09-30 22:09 | 神社で奇跡の開運

ウィリアム王子をパトロンとするTuskとISPSハンダがパートナーシップ - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


夕刊フジに掲載された記事によると、22日、東京都新宿区のパークハイアット東京で、TuskとISPSハンダのパートナーシップによる「タイム・フォー・チェンジ」のレセプションが開かれた。

Tuskは、英国のウィリアム王子をパトロンとする慈善団体で、アフリカの野生動物の保護などの活動を行っている。ISPSハンダは、スポーツ振興団体で、南アフリカのサッカーチームのスポンサー活動を通じて野生動物保護についてTuskと理念を共有し、世界規模の協力が不可欠として、世界に賛同を求めるためにレセプションを開いた。
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9月25日夕刊フジ



以下は、ISPS Handaさんのツイート、リツイート
















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by 2nike | 2016-09-24 18:58 | 半田晴久

善も悪もすべてこれ神のうち - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


深見東州氏が痛烈に悟ったと書かれている、「陰と陽とは太極の用であり、姿である。陰なき陽はなく、陽なき陰はないのであって、それらはすべて主神である太極の動く時の二面であるのだ。」を読むと、ワールドメイトの神事で、「素晴らしい神様が降臨されるときは、大きな魔もやってくる」といわれてたことが思い浮かぶ。

以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

●悪とは善に相応するもの

昔からなぜ神様はこのように悪というものを地上からなくさないのか。なぜ悪はあるのか。悪とはそもそも何なのか。などと真剣に考えていたが、なかなか解答が得られなかった。そして、「老子」や「易経」と巡り合い、これを学ぶことによって初めて神霊界の生成発展の理を知って、すべてが氷解したのである。

悪とは善に相対するものであり、陰と陽の関係であること。ゆえに絶対の善も絶対の悪もなく、ひとつの事柄は、ある面で見れば善であるが、ある面で見れば悪になり、その逆もまたあり得るということ。

だから、絶対者の絶対次元を信仰して、柔軟に善悪を考えて、自分の知覚する最善の善を謙虚になすしかないこと。そして、もし腹が立って、すべての悪をなくそうとするならば、善をなくすしかないこと。それは、「老子」の「長があるから短があり、強があるから弱があり、美があるから醜があり・・・・・・」でもわかる。そもそも、陰と陽とは太極の用であり、姿である。陰なき陽はなく、陽なき陰はないのであって、それらはすべて主神である太極の動く時の二面であるのだ。こういうことを痛烈に悟ったのである。




●御魂の進歩発展のためには、前向きに精進、努力する

たとえば、生が陽で死が陰、生が善で死が悪とすれば、人間は善ばかりであるべきだ、と神様にうそぶいていた私は、人間は死ななくて生のみあるべきだと、頑固に神様に願っていたようなものだった。善悪を超えたところに主神があり、宇宙の主神がひとたび動けば、必ず善と悪とになるということなのである。

「善も悪もすべてこれ神のうち」ということを深く悟り知って初めて、悪に対する慈しみも湧き、善であることに対する小さな誇りの心もぬぐうことができた。善悪の形をとる以前の主神に自分の霊体を安居させることができるという境地を、禅では「本来無一物。無一物中、無尽蔵」といったりもする。分別、善悪を超えて、すべてを大善に生かすことができるという、内的覚醒のレベルを表す言葉である。

万物創造の主神が、なぜ悪霊をそのままにさせる自由をお与えになっているかといえば、善霊の進歩発展のためなのである。なるほど、霊界では善霊は善霊たちのみが集まり、悪霊は悪霊のみが集まる。だから、善霊の集まる天国はどこを見ても善霊ばかり、幸せの極致なのだ。

だが、善霊のみが集まって幸せな所とは、残念ながら魂が磨かれて進歩発展することはあまりない。人間が悪霊のウヨウヨするこの世に生まれてきたのは、すべてこの御魂の進歩発展のためなのである。だから、文句をいわず、前向きに精進、努力するしかない。御魂が進歩向上した分だけしか神なるものを自得できず、自得した分だけしか世のためにも神様のためにも役立つことはできないのであるからだ。






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by 2nike | 2016-09-21 22:25 | 神社で奇跡の開運

日本の神様は大らかでユーモアに満ちている - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


「阿弥(あみ)」という生き方は、室町期の日本型ルネッサンスの中核を担い、日本の伝統芸術をつくり、日本型の美意識を完成させた。日本文化や芸術、生き様を語るうえでは欠かすことのできないものなので、深見東州氏はワールドメイトだけでなくサミットや芸術の講演などで、このことをいろいろな角度からお話しをされる。氏が自らのペンネーム「戸渡阿見」に使っていることからも、とても大事にされていることが分かる。

以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。
●日本神話に見る日本の神様のキャラクター

ギリシア神話と日本神話を比べてみたら、いかに日本の神様が大らかであり、ユーモアに満ちているかがおわかりになるだろう。ギリシア神話では、女神様も嫉妬深く、我が強く、私情と私心に満ちている。男神は、すぐにバケ物に変えられるので、緊張した毎日を送っておられる。情け容赦のない制裁と快楽をむさぼるわがままが許される世界である。

是と非をはっきりさせて、善を擁護し悪を徹底的に裁く、中途半端で曖昧なものは認めない。極端な博愛主義か虚無主義か、しからずんば権力と欲望を満たさんがための闘争のいずれかの道をいく、というものである。

一般にはこのほうがわかり易く弘まり易いという長所もあるが、「間」とか「あや」とかの、是非善悪以前の世界の存在がなく、全体として息苦しい文化、はっきりとして精緻ではあるが、虚虚玄玄たる情緒の奥の深まりの乏しい文化となっている。

日本文化には「阿弥(あみ)」という生き方がある。これは、俗人と出家者との中間的な人生を送る人のことをいう。この言葉の由来はこうだ。「南無阿弥陀仏」という言葉があるが、「南無」は帰依するという意味だから俗人を表す。「陀仏」は仏様という意味だから「出家」を表す。そして、その中間に位置するのが「阿弥」というわけである。

この「阿弥」によって、日本の伝統芸術ができあがったといっても過言ではない。能や茶や書や絵画の芸術を通して、禅的な悟りを得たり、自己の人間性や魂を磨き完成させようとする、きわめて宗教的な意義を持つものであった。



●辛抱強くて人が良い日本の神様

日本の芸術には、「華道」「茶道」「書道」、能は「芸道」と表すというふうに、「道」という言葉がつくのが普通である。

武術でも「剣道」「柔道」「弓道」「合気道」というふうに「道」という言葉がつく。ここで言う「道」とは禅でいうところの「見性」(霊覚の悟りを開く)に至るまでのプロセスを経て、芸を通して芸を離れ、道をめざして道を離れ、ついに主一無適の人間としての最高の神性を発揮するまでをめざすという意味である。もっと簡単にいい換えるならば、心を練り、それを鍛え、魂を向上させて天地自然の大道に帰一するまで、本来の自己の霊性を全人格的に高めるという日々を、精一に送るというプロセスのことである。これらは皆、「阿弥」が日々にめざし、歩み来た「道」というものなのであった。

善と悪、是と非は知性や倫理の部分であり、「間」と「呼吸」は、心を静と動や、進や退に調整する「中」の空間である。知性に心の「間」があって初めて、叱るべき時と放任すべき時の調整ができ、善と悪、是と非も、大善のために臨機応変の使いこなしができるのである。これがあって初めて、悪によって善を導き、非によって是を促すという、複雑な行政手腕や自在性が発揮されるのである。観世音菩薩とは、これらの上にいませる仏様なのである。






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by 2nike | 2016-09-16 16:36 | 神社で奇跡の開運

日本の山岳とは、神域と宇宙神界とのパイプ口であり、高級霊たちが住まい集う - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


先日エントリーした、
国家とか民族の才能は、神界との深いつながりをもっている - ワールドメイトの備忘録の「神社で奇跡の開運」に書かれている日本の神界の特徴の第五、「宇宙空間に点在する重要な神界との窓口となっていること。」についてもう少し詳細にみてみると、
以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。


皆様も役小角という名をご存じのことと思う。奈良時代に山岳信仰の基を開かれた方である。大峯山を開き、日本の六十余州の神山、霊山を開かれて、神と人とが一体となる道法を開かれた方である。この人の足跡を追って、山岳に苦修練行の修道をされたのが行基である。東大寺大仏を開眼し、因果の法則を説いて人々を教導した行基とは、「日本霊異記(にほんりょういき)」においては第一の聖者として扱われている人物である。そして、この人の後を追って同じように苦修練行の道を歩んだのが、空海であった。空海が、まだ唐に渡る前の頃、即ち恵果からの真言宗の八祖の印可を授かる以前の話である。

この三者によって、日本の山岳信仰の基礎が築かれたといっていい。

さて、このすべての基を作った役小角とは、一体何者だったのであろうか。

実は、霊界から行基を導き空海を導いたのも、役小角なのである。神使たらんとする発願もさることながら、彼が生前にたてた神功(神様から見たおてがら)と霊的覚者たる資質とから、神使として任じられているのである。

その神功とは、「日本国六十余州に太古から坐すご神霊を出だし、わが国の国体と風土に、宇宙にある神霊界と直結する神霊磁場、及びそのパイプを確固としたものにされた」ことである。それで、日本国に神国としての霊運が強化されて備わり、文明化された外国との交渉の中で、わが国の民族と文化と国史に、大いなる神霊界のご加護が授かるという布石が打たれたのであった。

不思議で神秘なキャラクターと歴史を持つ日本という国は、こういう霊的な加護を授かりながら、政治も経済も文化も学問も、ブランデーの原酒が醸造され、時とともに熟成されてゆくように、ゆっくりと独自なものを培ってきたのである。そして役小角は大海皇子、即ち天武天皇にこのことを知らせ、「古事記」の編纂なども促している。

天武天皇とその妃持統天皇が、何度も吉野へと参詣していた理由はこれである。

天皇が自覚して初めて国が動き、六十余州の神々が動かれることを役小角は知っていたのである。

ところで、実際をいえば役小角が直接開かれたのは三十一州であり、その他は、霊身となった役小角が、天意に合う若者を選んで導かれたのである。白山を開かれた泰澄上人(たいちょうしょうにん)、日光を開かれた勝道上人などがその例である。このように、日本の山岳とは、単なる山岳ではなく、神域と宇宙神界とのパイプ口となっているのであり、高級霊たちが住まい集う中継地点ともなっているのである。これが、宇宙空間に点在する重要な神界との窓口となっているという意味だ。

むろん、最重要神界とのパイプ口は、日本の山岳地帯に下りているのであるが、カナダ、スイス、中国、ヒマラヤ、インドなどには、それぞれ個別の役割をもった宇宙神界とのパイプ口があり、これらが連動して世界情勢を動かしているのである。

最後に、一言だけ言っておかねばならない。役小角が開いた山岳信仰の原点の発想は、太鼓にあった道であり、彼はそれを復活させただけなのである。そして、山岳信仰の基本となる所は、現在も同じである。ただ、昨今はお陰ほしさの人や、行者、霊能者、修験者達の自縛霊達がうようよしている為、昔の神域からは本当の高級神霊はお帰りになっていることも多い。

宇宙神界とのパイプ口も、今やズタズタに切れてしまっているといえよう。

そこで、新しい時代に先がけて、新たなる神域とパイプ口が下ろされているのが現状なのである。




日本の山岳信仰の基礎を築かれた役小角、行基、空海の画像をwikiからお借りすると。

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役小角
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0d/Goryu_Sonryuin_06.jpg


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行基
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8d/Gyouki_1.jpg

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空海
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/98/Kobo_Daishi_%28Taisanji_Matsuyama%29.jpg




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by 2nike | 2016-09-09 19:26 | 神社で奇跡の開運

国家とか民族の才能は、神界との深いつながりをもっている - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


「神社で奇跡の開運」には、神界のことが詳しく書かれている。世界にある神界の構造図も記載されているので、興味のある方はご覧になるとよいだろう。神界についてまとめると次のようになる。

・星は、三層構造になっており、どの星にも神界、霊界、現実界がある。
・もちろん地球にも神界、霊界、現実界がある。
・世界には、日本神界、アメリカ神界、(旧)ソ連神界、中国神界、ヨーロッパ神界、オーストラリア神界、中近東神界、インド神界などがある。
・本当の神界は日本だけであり、宇宙にある一番奥深い神界からのパイプが日本に降りている。





以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

●才能豊かな人は神界とのつながりが深い

星が三層構造になっており、どの星にも神界、霊界、現実界がある。地球もその星の一つであり、当然のことながら神界があるわけだが、その神界にはいくつものランクと種類があり、各々の星の神界と深いつながりを持っている。

そして、日本には日本の独自の神界がある。実はその個別の神界におられる神様のあり方や個性や働きによって、その国の風土と国柄が決定されているのだ。

ところで、私たちの国民性や歴史や伝統、また、風土や地理的条件なども、すべてはここから発して形成され、特徴づけられていると考えてよい。創造、クリエイティブな感覚、芸術、感動といった人間の魂そのものの発露といえる営みは、ことごとく神界に属するものである。だから才能とは、結局のところ内在し外在もする神界からやってくるものなのだ。

そして、国家とか民族の才能も、神界との深いつながりをもっているのである。一般に西洋の感覚と日本の感覚との違い、また、文明文化の成り立ちや風俗習慣の違いは、その国の風土や歴史がもたらしたものだと考えられている。確かに、現実界のみの目から見ればその通りだ。しかし、現実界を動かしている、目には見えないが確かに実在している神界というものの働きと意義を知れば、もっと別な角度ですべてが見えてくる。




●宇宙にある神界からのパイプが日本へ

日本の神界の特徴とは、
第一に、縦に長くて最奥天界までつながっていること。
第二に、気のめぐり方がスパイラル曲線のようになっていて、ボルトの雄ねじのようにギュッと凝結させる、締まりと回転作用があること。
第三に、あらゆる国の神界の要素を組み入れて、調和させるゆとりと吸収力があること。第四に、神界を形成している気の種類が柔らかくて繊細であり、多種多様の変化があること。
第五に、宇宙空間に点在する重要な神界との窓口となっていること。
第六に、死んだ文明、文化、芸術、科学などに生命力を与え、蘇らせたり、再活性化させたりする。

だが、これら六つの特色と反対に欠点もある。絶対的なつぶの大きさが足りない、横への広がりがない、柔らかすぎて外へ出る時の節目の固さがなく腰折れ気味になること。

第一について。世界中に神界があるが、本当の神界というのは日本だけなのである。

宇宙にある一番奥深い神界からのパイプが、日本に降りているわけだ。

だから、芸術でも、科学でも、宗教でも、鑑賞力や咀嚼力の奥深さでは、日本神界に身を置く日本人はその気にさえなれば世界一のレベルになれるはずなのである。





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by 2nike | 2016-09-07 21:27 | 神社で奇跡の開運

鏡を見て自霊拝をし、神人合一を願う - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


本文では、自霊拝について、植松愛子先生がおっしゃったことが載っていたので、過去のエントリーを調べてみたところ、次のお言葉がありました。

神人合一の道を目指す五大項目
神人合一の道を目指す、レベルの高い祈願をするためにはどういう基準が必要か。私の師である植松愛子先生が明らかにした五大項目がある。
①信仰心
②愛念
③秩序
④調和
⑤平和の心
の五項目である。

目前のどんなことにでも没我没入することこそが、挫折・悩みからすみやかに立ち直る最大の近道。
わが師・植松愛子先生は次のように説く。
「いろいろな念を消し無になることによって、新しいエネルギー、新しい智恵を得られるというならそれはそれで結構・・・・・・でも、無心になるまで一体どれだけ坐禅を組んでいなければならないのだろうか。それよりもいま目前のできることをしたほうがいい。ただ今、ただ今のこの一瞬に生きることをせよ」と。

運命改革方法論序説 --- 天命・宿命・運命について
植松愛子先生はスの神様に、「人間は幸せになる義務がある。それがス神の心であり、人の天命である」と示された。


以下は深見東州氏の著書「神社で奇跡の開運」より。

●神社の鏡が教えていること

神の意志に沿った人間とは、御魂が球形で円満に輝く人間だ、ともいえる。そうならなければならないと、神様はいつもわれわれに教えてくれている。

神社にご神体として祀られている鏡の意味するものは、実はこのことなのである。鏡の如くならんとすることを目指してなす修業を、神道では自霊拝(じれいはい)という。最初は六角形の鏡に映る自分を見て、癖や偏りを直す。角があるところが、修業を始めようとする自分にそっくりなのだ。

次に八角形の鏡(八咫の鏡という)を見て自分を反省する。まだまだ角がある。そして最後に太陽を思わせる丸い真澄の鏡に自分を映して、自らの霊を拝み省みるという手順になっている。

鏡に自分を映して拝むことを自霊拝といい、自分の中のご神霊を拝むのである。祈願とは、自分の霊に対してもできるわけだ。自霊に対して、祈るように祈るように強い自覚を促すというほうが適切な表現かもしれない。




●カガミから”ガ”を取る修業で誰でも神様になれる

思えば、神社の鏡は数千年に渡って私たちにそのことを教えているのだが、誰も気がついていないのだ。ますます神様と人との間に距離ができて、人間となってしまったのである。古代、神人合一といって神様とはひとつに結びついていた。そして、もっと前は、人が神の如くであったのだ。大和言葉(古代からの日本の言葉)ではヒト(霊止(ひと))といった。神様の霊がとどまっているという意味である。

それが時代が下がるにつれて、現実界の観念や欲望にばかり目を向けるようになり、人が神様から離れてしまった。神社の鏡はそれではいけないと、本来のヒトへ帰る道を無言のうちに教えているわけだ。

このことを言霊分析にて恩師植松愛子女史はこうおっしゃっている。
「カガミという言葉から、ガを取ればどうなりますか。カミという言霊になるでしょう。自分というものをよく鏡に映して、ガを取る修業をすれば、誰でも神様になれるということです。神人合一の秘訣を、神様がこうして無言の内に教えておられるのです」と。


神社のご神体である鏡に、深々と頭を下げてふと見上げてみたら、自分の姿が映っている。まさに、「ご神体とは、お前自身のことなんだ」ということを教えているのである。これを、神様による無言の禅公案なのだと受けとめたいものだ。

そうなるために、祈願をして神様と交流、感応し合い、鏡を見ては自霊拝をし、神人合一できるような自分作りに励みたい。かといって、神職や神のご意思を取り次ぐ神霊家になるのでなければ、若いうちから澄み切ることばかりに専念することはお勧めできない。一般の方々には、むしろ、神様の義に対して心澄み切り、人に対する仁に対して心澄み切り、一切を燃ゆる誠でつき進むという道に対して心澄み切るべきだろう。






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by 2nike | 2016-09-03 17:33 | 神社で奇跡の開運