六大神通力のうち一番高級な神通力は、漏尽通力 - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


六大神通力(天眼通力、天耳通力、自他通力、運命通力、宿命通力、漏尽通力)のうち、一番高級な神通力は漏尽通力。それは、神の目的は、人を幸せにすることであり、この漏尽通力によってはじめて神様の意図される働きができるから。

また、世の中の辛酸をなめ、かつそれを正しく善なるものへと咀嚼していく人は、たとえ天眼が見えなくても、天耳が聞こえなくとも、人の悩みがわかり漏尽通力を発揮することができる。


以下は深見東州氏の著書「神界からの神通力」より。
●宿命通力の代表はお釈迦さま

この通力の代表的なものはお釈迦さまだ。法の道を説きながらも、その人への慈愛の心を持って、来世への希望を持たせてあげるのである。

宿命通力も、あくまで漏尽通力に帰結して初めて意義がある。宿命を知ることで前向きに人生を歩んでいくきっかけにし、そういう宿命ではあっても自分の努力で陰徳(人に知られない善行)を積むことによって、前世の因縁、災いが消され、幸せの方向へと進んでいくことができるということを説かねばならない。

お釈迦さまの本意は、大慈大悲の心で宿命を説くことによって、宿命を知った当人が、ますます生命ある限り進歩向上への方向へと向かって努力するべく、善導することにある。
天の道から見ても、人の将来は絶対に100%決まっているということはない。たとえ90%決まっていたとしても、人間の努力や陰徳を積む布施とか神徳を授かる信仰実践によって、宿命の命式というのは変えることができるのである。

易や占いにしても、ある程度は当たっている。神霊家は、神霊万能主義に陥る傾向があるが、考えてみれば、天の法則や星の運行も神の一部である。神霊だけを神とするのは独善であり、心と方法さえよければ易占いもまた善なのである。そして易占いは絶対視することなく、参考にするというくらいの姿勢が大切だ。

このように、運命学・宿命学というものは、絶対者の神の意図を相対的にうかがい知って、進歩向上の糧とすべきものが本来の姿である。



●豊臣秀吉は漏尽通力の達人

最後は漏尽通力である。漏尽とは、漏れなく尽くすという意味で、漏尽通力は、人間の問題点、苦しみを漏れなく尽くして解決し、幸せに導く能力をいうのである。

ひとつの例をあげてみよう。
お金で苦しんでいる人がいるとする。その人を天眼通力で見ると、どうなっているかというと、苦しんでいる様子が見えるのである。天耳通力で聞くと、その人が苦しんでいる状態を説明する天の声が聞こえる。自他通力では、苦しいという声が瞬間的にパッと写ったり瞬間的にその人の気持ちがわかるのである。

宿命通力・運命通力では、「こういう星の下に生まれているのは、前世にこういうことがあったからです。苦しいでしょう」と言ったりする。苦しんでいる人に対して、それぞれの通力である程度の状態はわかる。

しかし漏尽通力の場合は、苦しんでいるという事実を当てるというだけではなく、具体的にそれらの苦しみを解決することができるのである。勇気を持って乗り越える。あるいは慰めや叡智をもって乗り越えるべく、具体的な救済力を発揮して苦しみと煩悩を解決することができるのである。

若い時に辛酸をなめ、人の道で艱難辛苦を通過してきた人は、同じ苦しみのある人の気持ちを誰よりもよく理解することができる。

豊臣秀吉も、若い時に苦労を重ねて人情の機微がよくわかるようになった。それで戦をするときも征服した人の気持ち、敗軍の将の気持ちを汲むことができたので諜報説得活動が成功し、相手を戦う前に屈服させることができたといわれている。

つまり、戦わずして勝つという戦いの真髄を行うことができたのである。そのため無益な殺生はなるべくしなかったという。これが豊臣秀吉の素晴らしかったところだ。秀吉のそうした面に関していえば、漏尽通力の達人だったともいえる。

このように、世の中の辛酸をなめ、かつそれを正しく善なるものへと咀嚼していく人は、たとえ天眼が見えなくても、天耳が聞こえなくとも、人の悩みがわかり漏尽通力を発揮することができるのである。

神の目的は、人を幸せにすることである。したがって、この漏尽通力によってはじめて神様の意図される働きができるのだ。これが一番高級な神通力であるというのは、そういう訳だからである。

最後に、天眼が見える、天耳が聞こえるとついその霊能力を誇りたくなるものであるが、よく考えてみると、いったいそういう能力は、何のために与えられたものだろうか。それができたからといって何がよいのだろうか。人を幸せに導くという行いができてはじめて、霊能力も神通力も意味を持ってくるものなのである。

「人を幸せにする」―――これが神様の御心であることを知れば、あらゆる通力とはそのための方便であることがわかる。





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# by 2nike | 2016-10-26 16:20 | 神界からの神通力

運命通力---こわい情勢判断の誤り - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


本文には、次のように述べられている。
たとえ霊能力があっても、最終的には人の道、情勢判断などを総合して、霊能力を冷静に見ていく正しい目が必要である。また、占いによる運命判断も運命通力と同じように、自分が幸せになるため、人が幸せになるためにはどうしたらよいか、という観点から咀嚼し、情勢判断しなければならない。そして、易なら、易そのものに囚われないことが、運命学に対する態度である。


以下は深見東州氏の著書「神界からの神通力」より。
●正智に基づく的確な判断力が大切

昔、中国のある王様が、戦の勝ち目について霊能者に尋ねた。その霊能者は「天眼通力でみれば、閣下の兵が敵兵を水際に追いつめている姿が見えます。これは勝ち戦ですから、どんどん兵を進めなさい」と進言した。王様は勇気を得て戦に臨み、予言どおり敵兵を追いつめた。王様は「まさに予言がピッタリ当たった、これは勝利だ」と感心し、喜んだ。
そこで、欲張って残兵を一人も逃すなと命令し、どんどん川べりへ追いつめていったら、しばらくして敵の遊軍が大挙して攻め寄せ、とうとう王様の軍隊は全滅してしまった。

この物語は一体どういうことを意味しているのか。その霊能者は敵兵を追いつめたということを霊眼で見た。つまり未来予知をしたのだが、それだけでは、勝ち戦になるかどうかという最も大切な勝敗決定の判断にはならない、ということだ。(これが運命通力なのだが)もっと客観情勢を冷静に判断したならわかったはずである。

天眼で見たものを、次にどう判断するかが大切だということを教えているのが、この話なのである。

ある程度霊眼で見え、運命が予測できても、それをどのようにアドバイスして、正しい道を教えていくのか。正智に基づく的確な判断力がいかに大切であるかということだ。いくら神通力があっても、最終的には人の道、情勢判断などを総合して、霊能力を冷静に見ていく正しい目が必要なのである。

王様の戦の例でも、霊能者としては「勝ち戦に見えますけれど、深追いは禁物」と謙虚に申し上げておけばよかった。太鼓判を押したので、つい調子に乗り過ぎて足下をすくわれたということだ。

こういう点が、天眼通力・運命通力をあわせて非常に危険なところである。



●真心が幸せにつながる運命通力

手相・人相・姓名判断・四柱推命など、いろいろ運命を予測する方法はあるが、たとえば予知能力を働かせてこの人はこういう運命だとわかったとしても、悪い運命の方向に行かないように、どうしたら運命が良くなるのかを漏尽通力を働かせ、前向きに生きていける助言をしていくべきだ。災いの道を避けて、幸せの道に行けるような方法を説く努力をなすべきである。

運命が予測できたとき、人によって言ったほうがいい場合と、言わないほうが良い場合とがある。その判断の基準は相手への真心、思いやり以外にはない。そのとおり話してショックを受けるような人なら、「運命はこのように出ている、大したことはないから気にしなくても大丈夫」などと、逆に励ましてあげることが神様の道にかなうものであろう。

たとえば、易学とか気学等の場合、運命判断をする立場からいえば、人の運命をズバリ当てるのがよいのだろうが、的中率だけを誇るのは、本当の占いの道ではない。また気学・易学等をやる人は、なんでもそういう観点から判断してゆく思考次元の偏りがある。

それで、そういう想念が凝結してできた易占霊界という世界に陥るのである。

気学をみる場合、自分が幸せになるため、人が幸せになるためにはどうしたらよいか、という観点から咀嚼し、情勢判断しなければ、運命そのものに囚われてしまう。

だから、易なら、易そのものに囚われないことだ。易に囚われないということは、易を無視することでも、易を盲信することでもない。必要なものは使うけれども、マイナスのものにはあまり固執しないという態度だ。これが運命学に対する私の態度でもある。

運命通力の大切なところは、相手の性格を考えて、その人の運命について話してあげるようにしなければならないことである。人の悩み、苦しみを解決し、幸せにつなげてあげる運命通力でなかったら、魔の世界に入ってしまう。相手の幸せを第一とする考え方、真心の一点が、正神界の運命通力と邪神界の運命通力の分かれ道だからだ。







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# by 2nike | 2016-10-20 22:08 | 神界からの神通力

真心で相手の気持ちを読みとる自他通力 - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


本文には、「正神界の自他通力を持つ人は澄みきった目をし、水晶のような気持ちと真心があり、無欲なので、相手の気持ちが全部写る。こういう、澄みきった心の持ち主になることが、自他通力の基礎」とある。
やはり、前回エントリーの「生活修業のできている人に高級神霊がかかる」ということを大事にしていかなければならないと感じる。


以下は深見東州氏の著書「神界からの神通力」より。
●必要なときに相手の気持ちがわかる

自他通力(他心通力)とは、相手の気持ちや境地がわかる能力のことだ。

わかるといっても、正神界の自他通力はしょっちゅう人の気持ちがわかるというものではない。必要なときにパッとわかって、パッと心が読めるというものである。やたら日常生活で人の気持ちが全部読めたら、うるさくてしょうがない。必要なときに相手の気持ちがわかるというだけで十分なのである。

ところが、邪神界、魔物の自他通力というのは、しょっちゅう、わかり過ぎるくらいわかるというものである。実は、これはタヌキが憑いてやっているのだ。

タヌキは、相手の気持ちを読むのがうまい動物だ。たとえば、大阪の商売人などの中に、お腹がデップリしていて、、「あなたは今、こういうふうに困っているだろう。わかるよ、アッハッハ!」と言うようなタイプがそれである。

タヌキの特色は、よく眠る、パクパクよく食べる、ペラペラよく喋る、言っていることが支離滅裂で堂々めぐりが多い、いばりたがる、偏食が多い、などである。一般にその神通力は、近い未来の予知能力や、失せ物の発見能力、腹で見抜く能力などである。だから人の気持ちがよくわかるのである。天眼はキツネほどではない。



●澄みきった心の持ち主になる

それに比べて、正神界の自他通力を持つ人は澄みきった目をし、水晶のような気持ちと真心があり、無欲なので、相手の気持ちが全部写るのである。

こういう、澄みきった心の持ち主になることが、自他通力の基礎なのだ。

これが、強い人欲から発するとタヌキの自他通力になってしまう。「俺は他心通力ができるのだ」と威張る霊能者がいるが驚くことはない。そういう人が死ぬとどういうことになるかといえば、畜生道や、行者霊界、魔界に落ちて人霊ダヌキというものになる。

キツネの天眼通力を信奉してどこまでも神様だと信じて死んだ人は、人霊ギツネになるのである。そういう人は生前、霊能力という能力に自分の気持ちと魂を売ってしまっているのである。

能力は得られるけれども、本当の人の道を成就できていないので、死んだら絶対に正常な霊界には行けない。至誠と善徳以外は、いくら霊界に通じ霊能があっても、正道をまっとうしてすばらしき霊界に行けることとはならないのである。






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# by 2nike | 2016-10-19 16:51 | 神界からの神通力

生活修業のできている人に高級神霊がかかる - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


本文によれば、
高級神霊が神がかる人は、信仰が生活に即実践されていて、しかも芸術性を帯びている。また、人としての内面も高貴で美しいという人である。

そして、このような人が、人の幸福、世の安寧を祈り、神様の大御心がますます栄え増さんことを念願しつつ、人の道にかなった謙虚な姿勢で人生を送っていくことが邪神から身を守る唯一の方法なのである。

これが正法の一厘である。


以下は深見東州氏の著書「神界からの神通力」より。
●自分の心の中でひそかにわかるもの

次は天耳通力についてであるが、本当の天耳通力とは、正神界の天耳通力のことをいう。それは、静かに聞こえるとも聞こえないともいえないような感じで、ご神霊の声がかすかに感得されるものなのである。

自分の心の中で、ひそかに、おのずから彷彿としてわかるもので、それが常時聞こえてくるというのはやはり異常である。

人間は肉体という形を持っている。三次元の肉体を持って生まれている。三次元の法則とは、自然界の法則のことだ。自然界の法則を造られたのは神様であり、人間が自然の状態で生活するのが神様の御心である。したがって神様は、あまり不自然なものを好まれない。もちろん、ここぞという時は知らせてくださるが、そうでない場合は、なるべく自然なかたちを尊重されるのである。

天耳通力(正神界)の場合は、かすかに聞こえてパッとわかる、必要最小限のものである。神様はなぜ必要最小限のことしか言われないかといえば、先に述べたように、あまり多くのことを言いすぎると人間が努力しなくなるからである。人としての進歩・発展は、いろいろな苦労、失敗、経験を通してなされていくものであり、それがなんでもお告げで動く、見えてから行うということになれば、人としての努力をしなくなってしまうからだ。
だから神様は、人の進むべき道の概要をパッとお知らせになるだけで、全部をお教えにならないのである。人に考えさせる、努力させる。こういうのが、正神界のごく自然なあり方なのだ。常時見えている、聞こえているというのは、神様のご意志に反することになるので間違っているというわけだ。



●妖言過言に騙されるな

一見、天耳通力のようだが、はっきりした声で生々しく聞こえるというのは、現実に近い次元である。本来、神様はかすかな存在であって、神霊の声とはかすかに聞こえてくるものなのである。金毛九尾ギツネはいかにも神様のごとく思わせて、正神界の神様を装いながらくる場合もあるから、気をつけなければならない。そういうのを「妖言過言(ようげんかごん)に騙される」という。

妖言とは、「これから先、天変地変が起こる」「お前は騙されているんだ」などと、おどかしたりすることである。

過言とは、「一年たったら、あなたは天下を取る」とか「○月○日にはこうなる」というように、言い過ぎることである。

予言は天耳通力で聞くわけだが、それが神様の言葉らしく語られたり、かすかに語ってきていかにも神様らしく思えると「ああ、神様の言葉だな」と騙されてしまうのである。次元の低い動物霊は、耳元でボチョボチョ話しかけてくるので、すぐ動物霊だとわかるが、かすかに語りかけてくると神様らしく思えて騙されやすい。



●邪神のやり口を見破るために

それでは、どういう形で邪神のやり口を見破ることができるかお話ししよう。それには二つある。

一つは妖言過言の内容を分析して、そこに愛と真心があるかどうかを調べるのである。これみよがしに、ありのままの霊告を伝えてくれても、そこに真心がなければ正神界のものではない。

二つ目は、前向きに話してくれるかどうかだ。たとえば、「○月○日に死んでしまう」というお告げを受けたとする。そういうマイナス的なことを言うのは邪神である場合が多い。たとえ、それが真実の神様からのものであろうと、人たるものはそれをそのまま伝えるべきではない。どうぞそうならないように、どうしてもそうなるようだったら、大難を小難に、小難を無難にまつりかえてやってほしい、というように願うのが本当である。

「神がこう言っていました」と、そのまま告げる人は正神を取り次ぐ人としては信じられない。「ケガをする」と出ても、「なんとか健康に注意してください」というように、常に愛と真心でもって、前向きに言わなければ本当ではない。

私たちの日常生活も同じであって、誠心誠意、真心で神にお仕えしていると高級神霊が神がかるのだが、食物に強度の偏りがあるとか、生活態度が変だとか、生きざまが不自然でアンバランスであると、いくら神様をお呼びしても邪気が寄ってくるのである。高級神霊が神がかる人は、信仰が生活に即実践されていて、しかも芸術性を帯びている。また、人としての内面も高貴で美しいという人である。



●誠の道一筋で生きることが邪神から身を守る

私たちも、妖言過言のご神示、天耳通力にごまかされないように注意しなければならない。内容面からみても、言葉の格調から見ても、言霊の真意からみても、これは正神界の神様からきたものといえるとき、初めてご神示として受け取ることができるのである。

神様らしき言葉が聞こえてきても、それにとらわれないという気持ちが大切である。それは正しい真心によって、只今、只今を真剣に行き尽くす努力が必要なのである。

人の幸福、世の安寧を祈り、神様の大御心がますます栄え増さんことを念願しつつ、人の道にかなった謙虚な姿勢で人生を送っていくならば、いくら間違った予言が来ても妖言過言がきても、それに動じないで誠の道一筋に生きていくことができるのである。そういう人には、邪霊も金毛九尾もつけ入ることができない。

正しい誠の真心一点、これが正神界に感応するか邪神界に感応するかの決定的な相違なのである。そういう生き方こそが、正神界の神様と常に共にいて、邪神から身を守る唯一の方法なのである。真心の光は、邪神もこれを犯すことができない。このことをよく肝に銘じておいてほしい。これが正法の一厘であるからだ。







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# by 2nike | 2016-10-17 17:43 | 神界からの神通力

湯豆腐のように美味しい、国民のコンサート - ワールドメイトの備忘録

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


今日の毎日新聞に深見東州氏の歌う「湯豆腐のように美味しい、国民のコンサート」広告が掲載された。

また、毎日新聞一面では「ボブ・ディランさんノーベル賞」。受賞理由は「米国の歌の伝統において新たな詩的表現を創造した」としている。朝日新聞デジタルでは、「ボブ・ディラン、歌手の新境地 『歌詞』を『詩』に昇華」と評価している。

今回、第3回を迎える国民のコンサートでは、「日本歌曲の夕べ」として、深見東州氏によって誰もが知っている誰もが聴きたい日本歌曲の名曲が歌われる。広告に載っている曲をYouTubeで聴いてみたところ、メロディーはもちろん素晴らしく、歌詞も詩的情緒に溢れている。

ボブ・ディランさんのおかげで、「歌詞」にスポットライトがあたったこの時、、古語や日本語の美しい表現に定評のある深見東州氏の歌う、湯豆腐のように美味しい「日本歌曲の夕べ」が楽しみである。

以下は、広告の案内文

秋になれば、紅葉の美しさにうたれ、金木犀の香りに陶酔する。
それだけではない。肌寒さを感じる時は、心和む湯豆腐が食べたくなる。
音楽も同じだ。ぬくもりのある、なつかしい日本歌曲が聴きたくなる。
それなのに、オペラ歌手は、あまり聞かない曲をよく歌う。
誰もが知っている、誰もが聴きたい名曲を聴きたいのに。
しかも、よくわかる日本語で、気持ちよく聴きたい。
そんな、みんなが普通に願うコンサートが
「湯豆腐のように美味しい、国民のコンサート!」です。
湯豆腐のように、心が温まって美味しい。
秋になると聴きたくなる、国民的名曲を歌うコンサートです。


平成28年10月27日(木)
17:30開場 18:30開演 21:30頃終了予定

平成28年10月29日(土)
16:0開場 17:00開演 20:00頃終了予定

新国立劇場(中劇場)


「もみじ」
「赤とんぼ」
「みかんの花咲く丘」
「椰子の実」
「おぼろ月夜」
「荒城の月」
「春が来た」
「浜辺の歌」
「早春賦」
「花」
「夏は来ぬ」
「夏の思い出」
「村祭り」
「通りゃんせ」
「富士山(ふじの山)」
「月の砂漠」
「初恋」
「宵待草」
「埴生の宿」
「ゆうやけこやけ」
「この道」
「かあさんの歌」
「ふるさと」
「冬景色」
「雪の降る街を」など。




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# by 2nike | 2016-10-14 18:02 | 深見東州