神道では、罪を天津罪と国津罪の二種類に分けているが、そのどちらがより重いか?

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>



今日の産経新聞、The Japan Timesに、 第4回東京国際コンサートの記事が掲載された。後援が文化庁、スペイン大使館、毎日新聞社、産経新聞社、ジャパンタイムズだったので、スポーツ紙だけでなく、全国紙、英字新聞にも記事が掲載され、華やかなものだ。

さて前回、深見東州氏の著作「神仏のことがわかる本」からの続きになる。
「増長魔、傲慢、不遜、矜」を調節するには謙虚の徳を磨くしかない、というところまで書いた。
なお、「増長魔、傲慢、不遜、矜(きょう)」のうち、「矜」とは、内的な無形の世界にかすかに出る心おごりであって、態度や言動に明確に表れる、外的な傲慢とは区別される、と説明を付け加えておく。

例えば、宋学の周濂渓(しゅうれんけい)先生の下にいた程明道(ていめいどう)、程伊川(ていいせん)の両先生は一年間、「謙」というものばかりを研究していたらしい。それまでなかなか修道が極まらなかったのが、その一年間、「謙」の一字の修養をやって見違えるように変わった、という話が『近思録』に出ているが、、程明道、程伊川先生を見習って、「あっ、増長しているな」と思ったら謙を心がけたらいい。

増長魔、傲慢は褒められたことではない。だが、反省すれば、それまで積み上げてきた実績、悟りといったものが一八〇度転換されて、世のため人のために役立てられるのだ。褒められたことではないけれど、それほど悲観するものでもない。

ご存じの向きも多いだろうが、神道では、罪を天津罪と国津罪の二種類に分けている。国津罪というのは、殴る、蹴る、盗むといった、人々に迷惑をかける罪。これに対して、人に直接迷惑はかけないものの、己の才能、徳分を磨かないこと、すなわち怠りの罪を、天津罪と言う。

その国津罪と天津罪、どちらがより重いかと問われたら、皆さんはどう答えるだろうか。おそらく、国津罪のほうが重いと答える人が多いのではないかと思う。そう考えるのも当然かもしれないが、実は、神霊世界から見ると天津罪のほうがはるかに重い。怠りの罪は前述したように、反省しても何も残らないからだ。無論、どちらも良くないことなのだが、反省すればそれまで積み上げてきた実力、実績を世のため人のために役立てられる陽の罪、すなわち増長魔や尊大、傲慢の方がよりベターなのだ。






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by 2nike | 2015-09-03 22:28 | 神仏のことがわかる本
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