この世の七〇年余りの人生は、長い時間をかけて聖観音の位に近づいていく、再生転生の一プロセス。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


深見東州氏のプロフィールを読むと、芸術、文化、福祉、宗教、学術、経営、スポーツ、国益に根ざした世界的な活動など、聖観音のようなオールマイティな働きを目指していることがわかる。しかも、毎年毎年、驚くような実績が追加されている。誠に敬服の極みである。
以下は深見東州氏の著書「大天運」の第五章より。

過去、神人合一をして、オールマイティな神力を発揮した人物が幾人かいる。たとえば弘法大師空海や出口王仁三郎、聖徳太子、菅原道真、白隠禅師などである。彼らは皆、神人合一して、聖観音のように自在にして、超人的な働きをしたのである。

もちろん、イエスもマホメットも釈迦も一様に神人合一していたのだが、聖観音のようなオールマイティな働きはされなかったのである。

そのために、彼らは今現在、霊界において修業しているのである。大聖観音の位に就くために、民族的守護霊となったり、導きの神となってさらに自在性を養っているのである。もちろん、自在性を養うためだけに霊的活動をされているわけではないが・・・・・・。

そして、そのように修業を続ける必要があるのは、彼らのような聖人たちに限ったことではない。人間であるならば、誰もが聖観音の姿となるよう、修業を続けなければならないのである。この世に生ある限り一生懸命努力し、また死んで霊界に行っても、努力しなければならないのだ。さらには、来世再び生まれ変わっても、修業し続ける必要があるわけである。

だから、この世の七〇年余りの人生は、長い時間をかけて聖観音の位に近づいていく、再生転生の一プロセスといえるのだ。肉体を持った人間とは、いわば、霊的観音になっていくための天人養成機関なのである。

ここが、通常の仏教でいう涅槃寂静と私の見解との大きな相違点である。

世の宗教者や霊能者の中には、前世のカルマを抹消するために生まれ変わってくるのだ、と説く人が多い。だが、そんな考え方はあまりにも消極的であるといわざるを得ない。厳しくいえば、最低限度のレベルでしかない。神様の御心はそんなところにはないのである。

この修業を避けて通るわけにはいかない。今世にあるレベルまでやれなかったら、霊界でやり直さなければならない。霊界でできなければ、来世もう一度生まれ変わってやり直しをしなければならない。

来世でもできなければ、来々世。来々世でもできなければ来々々世。来々々世でもできなければ・・・・・・といった具合に永遠に続いていく。たとえどんなに苦しくても、やり直さなければならないのだ。

それなら、なるべく早めにやったほうがいい。今世肉体を持っているときに、すべてやり尽くしたほうがいい、ということになる。そう悟って腹をくくり、只今只今を前向きに楽しんで励む方が、奥の魂は充実し落ち着くはずだ。これが、本当の人生の意義なのだから・・・・・・。






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by 2nike | 2015-11-07 18:07 | 大天運
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