神人合一した人が最も大切。「大天運」の最後のまとめ。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


このエントリーが「大天運」の最後のまとめ。
以下は深見東州氏の著書「大天運」の第五章より。

私は会員を増やすことを目的としているのではない。いわゆる教勢拡大などということは、眼中にないのだ。その理由は「神霊界」を読んでいただければわかってもらえるはずである。

問題は量ではない。質なのだ。どんなに多くの人が集まったとしても、一人ひとりのレベルが向上しなければ、それは単なる烏合の衆にすぎない。それよりも、たとえ数は少なくとも、一人ひとりが正しく神人合一の道を歩み、観音の位に達するならば、そのほうがはるかに価値がある。そして、現実的に世に役立つ。

教勢を拡大し、数の力で社会に影響を与えようなどというのはもう古いのだ。そして、そういう意識でいれば、遠からず、過去多くの宗教団体が辿った闘争と分裂の道を辿ることになる。それを私は、痛いほど承知している。だから、会員を増やすことだけに血まなこになるような、狭い了見はもたないようにしているのである。

くどいようだが、問題は量ではない。質である。しかし、良質はある程度の数の中から出てくるのも事実だ。質を第一と志せば、量はおのずから増えていくはずなのだ。これが天地自然の天意に合った、量的な発展であると信じる。

そのためには教育がいる。正しい指導がいる。だが、教育は言葉でするのではない。教理、教論のみでするものでもない。第一章で述べたように、真髄は言葉や教理、教論にはないのである。

たとえば、親が子供の教育をするとき、
「テレビなんか見ていないで、勉強しなさい。本でも読みなさい」
と、どれほど口をすっぱくして説教しても、あまり効果はない。言葉でいっても、子供はいうことを聞かないのだ。それより、親自身が勉強することである。本を読むことである。そうすれば、その親の姿を見て、子供はいわれなくても勉強したり、本を読むようになるのである。

本当の教育とは、本来そういうものなのだ。だから、私がどんなに偉そうなことを書き、どんなに偉そうなことをいったとしても、私自身の日々の生活、一瞬一瞬の心のもち方が道にはずれていたならば、人を教育することなど絶対にできやしない。それどころか、人は去っていくであろう。

結局、神、霊、現の次元で率先垂範するしかないのである。それだけに必死なのである。一日二四時間、寝ているときも起きているときも、一瞬も気を抜かないくらいの心構えで頑張っているのだ、仕事をするとき、救済除霊や前世鑑定などをするとき、決して邪気邪霊の入らぬよう、命がけでやっているのである。それが、私の修業なのだ。

だが、決して悲壮感でやっているわけではない。明るく楽しく修業しているのである。努力するのは楽しいし、当然のことをやるのだから充実感がある。内外の実力も伸びる。そして、自己を実現できるから、ますます楽しくなる。

このような毎日を積み重ねていくならば、いつか必ず観音の位に達し、世に大いなる貢献ができるようになるはずだ。





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by 2nike | 2015-11-10 21:21 | 大天運
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