目標とは、とりあえず立てるもの。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


ワールドメイトに入会して早い時期に、深見東州氏の「目標とは、とりあえず立てるもの」という講義受けた記憶がある。当時の自分にとってピッタリくる必要な内容だったので、「目標とは、とりあえず立てるもの」と心の中でつぶやいて、いろいろな目標設定をやったことが懐かしく思い出される。
以下は深見東州氏の著書「絶対運」より。

目標があいまいであれば、目標に対する意欲がわかないのは当たり前であるし、意欲がなければどうして精進・努力ができるであろうか。そしてまた精進・努力がないところに、どうして目標の成就があり得るだろうか。

人生の大きな目標に最終的なビジョンがさしあたりはっきりしないならば、それはそれでしばらくわきに置いておき、まず、ごく身近な日常の中から”とりあえず”の目標を探して立ててみればいいのである。

さしあたり目標をたてて頑張ったが、自分の一生から見てそんな目標は意味がないと思うこともあるに違いない。となれば簡単に目標などたててはいけないのではないか、そんな不安や疑問が出てきそうである。

だが心配はいらない。

たとえ最終的な目標と、さしあたりの当面のそれとが一致していなくてもそんなことはまったく心配いらない。その努力とその成果は、必ず、最終的な目標達成のための養分、こやしとなっているのである。失敗は失敗でなく、最終の目標を達成するための原動力であり、成功に必要な具体的な知識と技術を学ぶことであり、さらに成就するために必要な心のバネでもある。

一石二鳥どころではない、一石数鳥の効果があることに気づいてほしい。

とりあえずの目標が間違っていてもいささかも後悔することはない。いや、「悔いるな」とというより、むしろ「喜ぶべし!!」歓迎すべきことなのだ。

なぜか。間違っていたということを知れば、自分にとって真の目標は何かが明確になり、ゆるぎないものとなるからである。目標達成はそれに対するゆるぎない信念、思いの強さに比例するからであり、間違いによって迷いが一切なくなるという偉大な効用を持つのである。

もうひとつは、失敗をとりかえそうとする強い意欲がわくことだ。”とりあえず”の目標を次から次へ数多く作ることが、ますます教養の厚み――それが心のバネともなるのだが――をもたらすことになる。

「わたしの人生の真の目標は何か。わたしという人間は何なのか――」
などと考え込み、暗く無気力な日々を送るより、今すぐできる”とりあえず”の小さな目標をたてることがいかに大切かが納得できたであろう。




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by 2nike | 2015-11-22 22:40 | 絶対運
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