学歴コンプレックスをふきとばすには、具体的にはどうするか。

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


「学歴コンプレックス」を、大卒者とそうでない人との違いという点で、三つのポイントに集約するというのは、予備校の学苑長である深見東州(半田晴久)氏ならではの分析といえるのではないだろうか。そしてこの分析の最終結論は、「我見をなくし」「論述力を高め」「専門書を読む」ことは社会に出た後も、大卒者とそうでない人に関わらず、常に磨き続けなければならない能力、ということにつながっていく。
以下は深見東州氏の著書「絶対運」より。

学歴コンプレックスをふきとばすには、具体的にはどうするか。
大卒に負けない実力を身につける。あるいは大卒に負けない特技をもつ――。
それはそうだが、まだそれではボンヤリとし過ぎている。
そこで大卒者とそうでない人との違いは何かをみてみる。
●大卒者よりも、中・高卒者は”我見”が、強い傾向にある。
●大卒者のほうが論述力がある。
●大卒者のほうが専門書を読む力がある。
大きくみて、以上の三点だろう。私も十余年の教育事業をやってきて、いろいろな生徒や学生や若者たちに学んできた。その結果個人差はいろいろあっても総体的に見ればこの三点に集約される。



「なぜ我見が強いのか」

大学の四年間、あるいはそれ以上の人もいるだろうが、勉強しようとすまいと、また優等生であろうと劣等生であろうと、そんなこととは無関係に、大学生活は集団生活であるということに着目してほしい。

どんな形のサークルであれ、クラブ活動であれ、いろいろな地域出身者がさまざまな方言を使ったりする。また習慣や考え方がまったく違う学生とも仲間づきあいをするということになる。ここに学生生活の本当の意味があるのだ。

これはたいへん大切な体験である。”我見”というのは、自分が正しいと思い込む”独善”につながり、別の角度からものごとを見るという習慣がなく、視野が狭い。ある一つの小さな技術だけにこだわり、頑固な職人気質をつくりあげて、若いのに発想も固く柔軟性がなく、結果は全体の見通しのきかない人間で終ってしまう。



「論述力について」

大卒者のメリットは、どんな大学でも試験があることだ。試験があれば、まず何々について述べよという論述をしなければならないし、いやおうなしに文章を書かなければならない。

社会に出れば、たえず一般的な手紙から儀礼的手紙やレポート、稟議書から契約書など、必ず文書で表現しなければならない。ところが大学生活を経験しない人は訓練されてないために文書作りがきわめて下手であり、それが具体的な弱みとしてもでてくる。

さらに論述力というのは、考えを要約し発表するという能力であるから、冷静にものごとを観察し、その意味をよく理解、咀嚼して、さらに自分なりに再構成するという知的能力がいやおうなく鍛えられるのである。

よく仕事ができるという評価を得、責任ある地位につくことができるのは、この要約力、読解力、掌握力が備わっているからだ。

したがって、大学生身分でない人は、まずこの論述力を伸ばす訓練をすることである。またもしあなたが大卒者であっても、この能力を鍛えみがきをかけ続けることは非常に大切である。



「専門書を読む力について」

大卒者のメリットは、どんなダメ学生であれ、いやおうなく在学中に”専門書”を何冊か読まざるを得ないということである。

すべてが理解できなくても、何らかの”専門書”を読んだということは、まがりなりにもその分”読解力”が鍛えられたということである。

読解力とは、仕事であれ友人・同僚・先輩や家庭における人間関係、あるいは、人生や芸術や学問や、仕事のしかたや取引関係など、この世のすべてのことがらに対する理解力、把握力でもある。理解し、つぎにそれを自分のものにして表現していく能力、それを総称して私は”咀嚼力”と呼んでいるが、この咀嚼力のない人は、どの分野のどんな仕事においても自分を百パーセント伸ばすことは不可能である。

したがってまずわれわれは、咀嚼力を身につけなければならない。その身近な方法が専門書を読むということだ。また、専門書を読破することは咀嚼力を鍛えると同時に、専門知識も得られるというメリットがある。





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by 2nike | 2015-11-25 17:58 | 絶対運
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