失敗したときに立ち直る簡単な方法

<ワールドメイトのリーダー(教祖)、深見東州(半田晴久、戸渡阿見)氏は、万能の活動と、ギャグ爆発の性質から、「出口王仁三郎2世」や「宗教界のギャグ王」とも呼ばれる>


文中に出てくる四忽主義については、こちらを。
儒教の根源の根源となっている名文「道心これ微かにして、人心これ危うし」と、四忽主義との深い関係と意義

「六根清浄の誓い」については、次のとおり。
●目にもろもろの不浄を見て、心にもろもろの不浄を見ず
●耳にもろもろの不浄を聞きて、心にもろもろの不浄を聞かず
●鼻にもろもろの不浄を嗅ぎて、心にもろもろの不浄を嗅がず
●口にもろもろの不浄を言いて、心にもろもろの不浄を言わず
●意にもろもろの不浄を思うとも、心にもろもろの不浄を思わず
●身にもろもろの不浄を触れても、心にもろもろの不浄を触れず
以下は深見東州氏の著書「絶対運」より。

たとえ徳分があっても才能があっても、失敗するときは失敗する。まったく失敗しないということはない。

大切なのは失敗したときにどうするかということなのだ。

あなたの守護霊が高級霊であり、しかもあなた自身に大きな力が秘められていれば(というよりも大きな能力を持った人にはそれにふさわしいさらに力のある守護霊がつきそっているものであるが)、そんな場合には、あなたは何回も失敗をさせられ、幾たびも困難な状況に追い込まれるものである。

なぜか。あなたを徹底的に錬磨し、眠っている能力を引き出し、ゆるぎない本物の実力を養成するためである。

ピンチのあとにチャンスあり、というではないか。

「よしヤルゾ! ピンチをチャンスに変えよう」という勇猛心をふるいたたすとき、はじめて大きな他力がはたらいてくるのだ。

その大きな他力が発動するとき、失敗は失敗でなくなり、結実・成就へのひとつの素材となるのだ。その強烈な他力に点火するのが、あなたの”勇猛さ”なのである。

つまずき、失敗したと思ったとき、人はあれやこれやいうだろう。そのひとつひとつに気をとられていれば、ひたすらめいってしまうばかりである。

そんなときは、しばらく「見ざる・聞かざる・言わざる」のおサルになるか、前にふれた四忽主義でゲンコツ握って耐えるか、六根清浄をぶつぶついうか。

はたまた天衣無縫な生活のなかで優しく強いあの良寛の詩でも口ずさんでいればいい。



不倒翁に題す
人の投ぐるに任せ 人の笑うに任す
さらに一物として 心地(しんじ)に当るなし
語を寄す 人生もし君に似せなば
よく世間に遊ぶに なに事かあらん



「おもちゃの起き上がりこぼしクンよ、人にどうされようと任せっきりで、まったくなにごとも意(心地)に介さない。お前さんのように過ごせば、この世に何にも困ることはないなあ」というわけである。

しかし、もっと勇ましくいきたいというのであれば、かの山中鹿之介が火をふく思いで言っている。



憂きことのなおこの上につもれかし
 限りある身の力ためさん



身のひきしまる覚悟である。いずれにしてもこうした決意があるとき、他力運がグンと強力パワーを発揮してあなたのピンチを救ってくれるのである。





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by 2nike | 2015-12-10 22:00 | 絶対運
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